大韓航空、謎の飛行


-経緯−

昭和53年4月21日午前2時頃、大韓航空902便・パリ発ソウル行きのボーイング707型機(機長・金暢圭/乗員・乗客110人で49人が日本人)がカナダ北部上空で連絡を絶った。一時は遭難したかと思われたが数時間後、米国務省が902便はレーダから消えた位置から判断してソ連領内にあると発表した。

ついで、同機はソ連領空内を侵犯したとしてルムマンスク南方200キロメートル付近に着陸。乗員・乗客は無事の模様と発表した。翌日の22日、当時の韓国はソ連と国交が無いことから米ソ間で乗員・乗客の返還に合意。23日、金機長と李航空士を除く乗員・乗客が56時間振りにヘルシンキに戻ってきた。

−何が起こったのか?−
ヘルシンキに着いた乗員・乗客らは金機長から聞いた話を記者会見で発表。この内容は実に驚く内容であった。それによると、パリを離陸してから4時間ほどして金機長はコックピットにあるコンパスの異常に気づいた。が、その時はすでにソ連領空内に深く迷い込んでいた。見えるはずの無い島影を発見した金機長は針路変更をしようとした矢先、ソ連のミグ戦闘機が接近し、交信を試みたが応答が無かった。その瞬間、ミグから銃撃を受けたため高度1万メートルから緊急降下し高度1500メートルを維持した。

この時、ミグからの銃撃で乗客の日本人・菅野義隆さん(当時31歳)と韓国人・方台煥さん(当時36歳)の2人が死亡、19人が重軽傷を負った。同機は、低空飛行で不時着点を探し氷結した湖に胴体着陸したということだった。

迷走飛行の原因は、最も信頼性が高いコンパスが故障したためと言われているが、通常この計器が故障するのは天文学的な確立だという。
大韓航空機のソ連領に侵犯した理由は他にあったのか?これが、後々の「大韓航空機・サハリン上空撃墜事件」へとつながっていく。


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