日本赤軍、インド・ダッカハイジャック事件


-経緯−
昭和52年9月28日、パリ発東京行きの日航CD8型機が、インドのボンベイ空港を離陸した直後、日本赤軍に乗っ取られた。武装したグループは、クアラルンプール事件(米国とスエーデンの大使館を占拠した事件)で関係した日本赤軍・丸岡修、佐々木則夫らで、乗員・乗客141人を人質に身代金600万ドル(当時のレートで16億円)と赤軍派・奥平純三、東アジア反日武装戦線のメンバーで三菱重工ビル爆破事件で服役中の大道寺あや子、浴田由紀子ら9人の釈放を要求した。
ハイジャックした、日本赤軍はバングラディシュのダッカ空港に緊急着陸させて、日本政府との交渉に入った。

−結果−
日本政府は、要求拒否と要求受入れでもめたが、福田総理の「人命は地球より重い」との見解から、いわゆる「超法規的措置」として犯人側の要求どおり、釈放犯6人(3人は出国拒否)と身代金を引き渡した。
釈放犯は、ダッカ空港でハイジャックした日本赤軍と合流。その後、ハイジャック防止加盟国に批准していない、シリア・ダマスクス空港などで給油し、アルジェリアのダニエル空港でやっと人質を解放した。

日本赤軍は、この軍資金の調達と有力メンバーの奪回に成功し、国際テロへと拡大していく。世界各国から、日本政府の弱腰対応に非難の声が高まった事件であった。


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