永山・連続射殺魔事件(警察庁指定108号)


−経緯−

昭和44年4月7日午前1時過ぎ、渋谷区にある専門学校で、何者かが侵入し警報が鳴った。早速、付近をパトロール中の警備会社の警備員が専門学校に駆けつけると、事務室の机やロッカーが荒らされて、不審な男がうずくまっているのを発見した。この侵入者は、警備員にピストルを発砲し逃走したが、現場に駆けつけて来た代々木署の警察官3人に取り押さえられ現行犯逮捕された。
この男が、前年の連続射殺事件の犯人永山則夫(当時19歳)だった。

−連続射殺魔−
永山は、昭和43年10月11日午前1時前、東京・芝公園の東京プリンスホテル本館脇にあるプールサイドで同ホテルのガードマン、中村公紀さん(当時27歳)を、1メートル前後の至近距離からピストルで射殺した。このピストルは、米軍基地から盗んだもので、いつも持ち歩いていた。

永山は、前日の10日に池袋でボーリングしたり渋谷で映画を見たりしていたが、急に「以前、東京タワーからみた東京プリンスホテルのプールサイドに行って見たくなった」という軽い気持ちで、ホテルの塀を乗り越えてプールサイドに踏み入れたのだった。

一方、同ホテルのガードマンは、パトロール中に永山をプールサイドで発見、不審に思ったガードマンは事務所に連れて行こうとして揉み合いになった。この時、永山は捕まったらピストルを盗んだことがバレるため(以前にも犯行歴がある)、ガードマンに向かって発砲した。

この第一の犯行で、永山の逃走劇がはじまる。
この事件から3日後の10月14日午前1時30分頃、永山は京都東山区の八坂神社境内で警備員の勝見留次郎さん(当時69歳)を射殺。10月26日午後11時過ぎ、北海道・函館市郊外でタクシー運転手の斉藤哲彦さん(当時31歳)を射殺。売上金9千円を強奪。11月5日午前1時過ぎ、愛知県・名古屋市港区で同じくタクシー運転手の伊藤正昭さん(当時22歳)を射殺。腕時計と現金7420円を強奪した。

僅か1ヶ月で4人を射殺するという衝撃的な事件で、日本中を恐怖に陥れた。中でも、タクシー運転手が、午後11時過ぎになると乗車拒否をするなど社会現象をもたらした。

−生い立ちとその後−
永山は昭和24年6月27日に北海道網走市で、8人兄弟の7番目の子として出生した。父親が、無類のギャンブル好きで家は困窮を極めたという。明日の米さえ無いと言う環境の中、母親が行商しながら生計をたてていた。

その後、集団就職で東京に出てくるが、職場での永山は、読書好きで無口な男という印象だったようだ。このような男が、何故4人もの尊い命を奪ったのか?微かなボタンの掛け違いだったのだろうか?

永山は服役中に過去の過ちを深く反省した手記「無知の涙(合同出版)」、小説集「木橋(立風書房)」などの本を執筆しベストセラーになった。特に、「木橋」は、新日本文学賞を受賞している。永山は、これらの印税を被害者の遺族に贈っていた。

昭和54年7月10日東京地裁は永山に死刑を言い渡した。昭和56年8月21日東京高裁は一審の死刑を破棄して無期懲役の判決。昭和58年7月8日最高裁は二審を破棄して東京高裁に差し戻し。昭和62年3月18日東京高裁は死刑判決。平成2年4月17日最高裁は二審の死刑を支持して永山の上告を棄却し死刑が確定した。平成9年8月1日東京拘置所で死刑執行(享年48歳)。

画像
連行される永山


ホーム

inserted by FC2 system