大阪・西成地区・釜ヶ崎騒動


−経緯−
昭和36年8月1日・午後9時15分頃、大阪府・西成の釜ヶ崎(通称:あいりん地区)で、同地区の日雇い労働者の老人が車にはねられた。通報で現場に駆けつけた西成署員が即死と断定し派出所前の歩道に置いたまま、現場検証を約20分間続けていた。その後、近くの病院に収容した。

これを見ていた労務者数人が「何故、早く病院に収容しないんだ!」と警察官の処置に抗議しだした。次第に、その人数は増えていき、群集心理と日頃の警察官の高圧な態度に苛立ちを覚えている同地区の労務者達は、派出所に投石したりパトカーや付近に駐車していた車を横倒しにしたり放火したりと騒然となった。2000人に上る労務者たちの暴動は2日間続き、28人を逮捕、警察官100人、群集数十人が負傷した。また、この騒動では地元の暴力団が扇動したという噂も聞かれた。

−労務者と警察の確執−
当時、釜ヶ崎は東京の「山谷」と並んでドヤ街といわれた地区で、全国からの失業者・流れ者・犯罪者が集まり、住所不定として簡易旅館に寝泊りしている。大半は日雇い労働者だが、中には暴力団に関係したり麻薬密売など犯罪の巣窟となっていた。このような状況であったから、同地区の管轄である西成署としての対応は厳しくしていたが、このことが日頃から労務者達には「差別」として受け止められていた。いつ騒動が起きても不思議ではない導火線を持つ地域で、たまたま交通事故がきっかけで一気に騒動になったと思われる。

画像
騒然とする釜ヶ崎(中央は横倒しされた車)


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