イタイイタイ病判決


−経緯−
水俣病(熊本)、阿賀野川水銀中毒(新潟)、四日市ぜんそく(三重県)、とともに4大公害裁判である「イタイイタイ病」(富山県)の裁判で、昭和46年6月30日に富山地裁は、被害者側の全面勝訴の判決を下した。この裁判で、初めて因果関係に「疫学」を取り入れ、公害防止に企業の果たすべき責任を明確にした画期的で意義の大きい判決であった。

イタイイタイ病は富山県婦負(ねい)郡婦中町、上新川郡大沢野町、富山市の神通川周辺地域で農家の産婦の間で多く発生した。患者は、大正時代から発生していたと言われ「痛い・痛い」と叫びながら死んで行くため、昭和26年地元の萩野昇医師が「イタイイタイ病」と名付けた。患者は腎障害のため、カルシウムの吸収ができなくなり、骨が脱灰状態になり骨軟化症となる。病状がさらに進むと、前身の骨がバラバラに折れ激痛を伴う。判決までの間に死者は150人と言われた。

−原因−
神岡鉱業所の選鉱・精錬など、製造工程におけるカドミウムやその他の重金属を含有する排水を神通川に放流し、更に水田に運び込まれ土壌を汚染したと結論付けられた。カドミウムは自然界にも微量あり、それが企業からもたらされたカドミウムが直接の原因であるのか「疫学」的調査を開始、因果関係を遂につきとめたことになった。

当時、萩野医師は「田舎の開業医に何がわかるか」、「ダンプに跳ね飛ばされるぞ」などさまざまな脅迫・妨害があった。それにもめげず患者のために献身的な治療を続け、その業績は、高く評価されている。ちなみに萩野医師が命名した「イタイイタイ病」は国際医学用語となった。

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イタイイタイ病患者を診察する萩野医師


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