大久保事件


-経緯−
昭和46年3月31日から5月14日までに8人の女性をドライブに誘い、暴行のあげく殺害し土中に埋めた事件が群馬県前橋で起こった。この間、群馬県下では女性に次々と声をかけるスポーツカーに乗った中年の男の情報が方々から警察に寄せられていた。5月13日群馬県藤岡市の会社員・竹村礼子さん(当時21歳)は「美術の先生からモデルになってくれと頼まれた」と言い残して失踪した。兄達の懸命な捜索の結果、翌14日犯人の大久保清(当時36歳)を発見。警察に通報し逮捕した。大久保は希代の殺人鬼としていまでも語り継がれている。大久保は2ヶ月前に強姦死傷で4年間の服役を終えて府中刑務所を出たばかりだった。

大久保は3月2日に府中刑務所を仮出所、同月14日から親に買ってもらったマツダロータリークーペに乗って、若い女性に次々と声を掛けた。逮捕された5月14日までの56日間の走行距離は約1万キロ(1日平均170キロメートル)とタクシー並。声をかけた女性は実に127人。誘いに応じて車に同乗した女性35人の内20数人を暴行、内8人を殺して埋めた。前述の竹村さんも9人目の犠牲者になった可能性が極めて高かった。

大久保の誘いの手口は、新車で白のロータリークーペに乗り、ベレー帽・ルパシカなどを小道具に「この近所にアトリエを持っている」、「絵のモデルになってほしい」など巧みに声をかけて車に乗せて、モーテルや野外で暴行を繰り返した。少しでも抵抗されたり嘘がばれそうになると殺して埋めるという残忍な手口であった。

−生い立ち−
大久保は群馬県碓氷郡八幡村(現、高崎市)で8人兄姉の末っ子として生まれた。家は比較的裕福で牛乳販売店などの経営をしていた。国鉄勤務の父親は女癖が悪く息子の嫁に手を出したり、女性を自宅に連れ込んで子供の前でも平気で性行為をしたという。母親はロシア人との私生児で、自己中心的・虚栄心などきわめて強い女性で、大久保が成人してからも「僕ちゃん、僕ちゃん」と溺愛していたという。こうした血筋から大久保も派手好みで多弁。自己中心的で虚栄心が強く性的にはきわめて早熟だった。小学生の頃から女子にいたずらを初め、20歳で強姦致傷で実刑。27歳で結婚した後も強姦や恐喝を繰り返し刑務所とシャバを行ったり来たりしている。

−異常な取り調べ−
5月15日に逮捕された大久保を一刻も早く自供させたい警察は、信じられないほど大久保にチヤホヤした。これに乗じて大久保の自供は、嘘やのらりくらりとした態度で完全に捜査本部の足元を見ていた。たとえば、大久保がオートバイに乗りたいと言い出せば、夜中の警察学校内で逃げられないように後ろの座席に警察官が同乗、要所要所に機動隊を配置させ2周、3周とバイクを運転させたり、食事を特別にしたり、相当な待遇だったようである。

結局、自供通りに次々と女性の死体が掘り出され、8人の身元が確認された。
昭和48年2月22日前橋地裁で死刑判決。大久保は控訴せず死刑が確定した。昭和51年1月22日死刑執行。死刑執行を知らされた大久保は腰を抜かして歩けず、係官に両脇を抱えられて死刑台に向ったと言う。


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