朝日新聞・阪神支局襲撃事件(広域116号事件)


−経緯−

昭和62年5月3日午後8時15分頃、兵庫県・西宮市にある朝日新聞・阪神支局に目の部分だけ開いた帽子をかぶり、散弾銃を持った男が侵入。二階編集室にいた小尻和博(当時29歳)、犬飼兵衛(当時42歳)の両記者に向けて発砲。小尻記者は死亡、犬飼記者は3ヶ月の重傷を負った。

この事件から3日後の5月6日、時事通信、共同通信に「赤報隊 一同」という送り先名で「反日世論を育成してきた朝日を処刑した」という犯行声明が送りつけられてきた。また、その中で同年1月24日の朝日新聞・東京本社への銃撃(窓に向かって散弾銃を発砲)も明らかにした。
その後、赤報隊は朝日新聞・名古屋本社の単身寮に侵入、無人の食堂でテレビに向かって散弾銃を撃って逃走。その逃走中に隣のマンションにも一発発砲している。

その後、赤報隊の犯行はエスカレートしていく。翌年の3月11日、朝日新聞・静岡支局の駐車場に時限爆弾を仕掛けて不発に終わったり、元首相の中曽根康弘の事務所と竹下登(当時、首相)の実家に脅迫状を郵送している。
8月10日には、元リクルート会長の江副浩正宅の玄関に散弾銃を発砲。平成2年5月17日、名古屋市の在日本大韓民国居留民団・愛知韓国人会館の玄関前に灯油を撒いて発煙筒で放火した。
警察は、これらの一連の事件を「広域重要116号」事件に指定。大掛かりな捜査を開始した。

−赤報隊の謎−
赤報隊は右翼団体なのか、あるいは朝日新聞(或いは記者個人)に対する遺恨なのか、愉快犯なのか実はまったく判っていないというのが本当のところだ。捜査本部では、新右翼(戦後の右翼活動を本質から否定し、真正右翼の伝統を正しく継承するというグループで、今日の体制を構築したヤルタ・ポツダム体制打倒を掲げて、過激派集団の行動をとる新しい右翼団体)との見方を強めていた。
が、結局実態は何ら解明されず現在、全ての事件に関して時効が成立している。

赤報隊の裏には闇との取引があるのか?竹下元首相の「平和相互銀行の金屏風事件」「イトマン事件」「東京佐川急便事件(ほめ殺し事件)」など昭和60年から平成前半までの政界、財界のスキャンダルに竹下元首相を中心とするフロー図が出来上がる。朝日新聞はこのフローにメスを入れるための取材で「大きな物証」を掴んだのか?その口封じだったのか?全ては闇の中に葬りさられた。

赤報隊の犯行声明(出所:岩波書店)


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