よど号ハイジャック事件


−経緯−
昭和45年3月31日、羽田発福岡行き日本航空ボーイング727型機、゛よど号゛(乗客121人、乗員7人)が定刻の午前7時21分に羽田を離陸した。およそ12分後の7時33分頃、共産主義者同盟「赤軍派」、リーダ田宮高麿ら9人が日本刀などで乗員を脅し「平壌(ピョンヤン)へ行け」とハイジャックした。石田機長は「この機は国内線専用だから、北朝鮮に行くには燃料補給が必要だ」と犯人側と交渉し午前8時59分、福岡空港へ着陸した。犯人達は、乗員・乗客が機外へ出ることを禁じ燃料補給をした。警察との交渉で、女性・老人・子供の23人を降ろして、午後1時58分、福岡空港を離陸し朝鮮半島へ向かった。

−トリック−
石田機長は、犯人に気付かれないように、管制塔との交信で韓国の首都空港である金浦空港へ向かい、午後3時18分に着陸した。ここで犯人が機外に出たところを一気に逮捕する計画であった。犯人側は、平壌空港に着いたと思い万歳をしたという。ところが、機体の窓から見ると北朝鮮に居るはずがない米兵がウロウロしているところを目撃。韓国軍兵士が北朝鮮の軍服を着たり、北朝鮮旗を揚げるなど偽装したが簡単に見破られてしまった。

−北朝鮮へ−
この偽装工作で犯人は激怒、態度を硬化させた。乗客とともに北朝鮮へ行くことを譲らない犯人に対して、運輸政務次官の山村新治郎が「自分が身代わりになる、その代わり乗客を解放してほしい」との希望が入れられ、4月3日午後、山村政務次官と入れ替えに乗客99人と乗員4人が解放された。

同6時4分、よど号は国交の無い北朝鮮へ向かった。石田機長は当然北朝鮮への航路は未知のことである。北朝鮮の迎撃にあうかもしれないという恐怖と絶対に日本に帰るとの気持ちが複雑に入り混じっていたと言う。よど号は、1時間20分後に平壌近郊の美林空港(軍施設)に着陸。全員が平壌市内のホテルに収容された。北朝鮮は、4日になって乗員3人と山村政務次官及び機体の返還を発表。

無事4月5日に山村氏らは羽田空港に帰着した。一方、田宮らハイジャック犯は、本人たちの希望通り北朝鮮への亡命が認められた。当時の赤軍派に対する捜査網は日々厳しさを増しており、地下組織を支えることが困難と判断、北朝鮮からキューバなど共産圏へのルート開拓を目指してハイジャックしたものと見られる。田宮らハイジャック犯は、北朝鮮でも特別待遇扱いされ、家族との手紙のやりとりや学習などを通して自己反省しているとも伝えられている。また、30年が経ち、老後の不安から「無罪帰国」を希望しているとも言われている。

画像 画像
美林空港に到着後、武器を提出している赤軍派の高宮ら ハイジャックされた日航・よど号


ホーム

inserted by FC2 system