三毛別(さんけべつ)羆事件

-経緯-
大正4年12月9日午前10時半過ぎ、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現、苫前町古丹別三渓六線沢)の僅か19世帯が暮らす開拓村に300kgを越す巨大な羆(ひぐま)が出没した。この羆は、なんらかの理由で冬眠ができなかったらしく、一ヶ月前から里に下りては人家を荒らして食糧を食いあさっていた。

だが、この日はいつもとは違っていた。というよりも、この日から村では恐怖のどん底に突き落とされた。まず、太田三郎(当時42歳)宅に羆が侵入。留守を預かっていた内縁の妻マユ(当時34歳)と子供(当時6歳)に襲い掛かり2人を殺害した。

昼、太田宅に同居していた樵業の長松要吉(当時59歳)が、昼食をとるため帰宅すると子供が囲炉裏の前で座っていた。様子がおかしいと覗き込むと、子供の喉がかきむしられ側頭部には親指大の噛まれた痕があり即死していた。改めて見回すと家中は荒れ放題で、一見して巨大な羆の仕業だと分かった。それにしても、マユは見当たらず部屋から外に向かって血痕が残されていたため、羆がマユを連れ去ったことが想像できた。

村人は、長松からもたらされた事件の報に大騒ぎとなった。そこで、太田宅から500メートル程離れた明景(みよけ)安太郎(当時40歳)宅に村人達が集まり善後策を協議した。その結果、暮れ始めた状況でのマユの捜索は危険だとして明日に持ち越し。そして、いずれにしても警察、役場への届けが先決だということになった。

そこで、家族の身は村人達で必ず守るからと言って、行くのを渋る斉藤石五郎(当時42歳)を説き伏せて使者役に選んだ。彼は、警察、役場がある町まで雪道を1日かけて歩いて行った。

-御通夜の恐怖-
翌日の10日朝、村人と隣村から駆けつけてきたマタギら30人の捜索隊は、血痕を追いながら森の中に入っていった。すると、突然羆が現れて彼達を襲った。鉄砲を持った5人は次々に発砲しようと試みたが手入れが悪く、発砲できたのは一丁だけだった。それでも、それが功を奏したのか羆は森の奥に逃げ込んだ。

捜索隊は改めて周囲を見回した所、マユの頭部と膝を発見した。捜索隊に戦慄が走った。それは、馬よりも大きいこの羆は、ついに人間の味を覚えてしまった。自分の獲物は絶対手放さないという熊の本能を知っている村人達は、また必ず襲い掛かってくることを知っていたのだ。

その夜、太田宅で御通夜が営まれた。すると午後8時30分頃、突然居間の壁が崩れ落ちて羆が乱入してきた。そして、マユの遺体の一部が入っている棺桶に向かって突進してひっくり返した。銃を持っていた男が、恐怖で震える手で発砲。また、別の男は缶を鳴らして羆を退散させた。だが、無残にも棺桶からマユの遺体の一部が飛び出して居間に転がっていた。

その20分後、明景の妻ヤヨ(当時34歳)は、1歳の四男をおんぶしながら山狩り隊の夜食を作っていた、まさにこの時、羆が乱入してきた。逃げまどうヤヨの背後から四男の頭部をひと噛みで殺害。更にヤヨと8歳になる次男も同様に殺害。明景宅に非難していた斉藤石五郎の妻タケ(当時34歳)と3歳になる四男も同様に即死。6歳の三男は救出されたものの、その後死亡。タケは身重であったが、腹も切り裂かれて胎児が飛び出した。暫くは息をしていたが、その後死亡。留守役の長松も噛まれて瀕死の重傷を負った。これで、胎児を入れると7人が羆によって殺害された。

特に哀れだったのが斉藤石五郎で、彼は村人から「家族は皆で絶対に守るから」と言われて、町へ命がけで連絡しに行ったのに、2日後に戻ってみれば妻、子供達が惨殺された後だった。彼は雪上に倒れただ呆然とするだけだった。

-羆狩り-
斉藤の連絡を受けて警察は、羽幌分署長の菅貢警部を筆頭に警察隊が組織された。また、警察からの連絡を受けて地域の青年団、消防団も三毛別に集まった。更には、村の長老たちの判断で、マタギの腕では誰にも引けを取らない山本兵吉も呼んでいた。

彼は、日露戦争の時の軍帽を被り戦利品であるロシア製のライフル銃で数多くの獲物をしとめ地域ではとても高名であった。だが、酒癖が悪くいつも喧嘩騒ぎを起こしていた。このことでも地元では有名だった。

この間、村人達は分教所に避難していたため、羆は無人となった家屋を荒らしまくっていた。一方、未曾有の猛獣事件を重く見た陸軍は、旭川第7師団に隷下する歩兵第28連隊から将兵30人が選抜され、羆狩隊が組織された。

13日になって、現地に着いた警察隊は、熊には獲物を取り戻そうとする習性があることから、明景宅の惨状をそのままにして(遺体をそのままにして)、羆が現れるのを待ち伏せした。
夜になって対岸に動く影を発見したため菅警部は一斉射撃を命令したが、確実にはしとめられなかった。暗闇の中でこれ以上の追跡は危険と判断し捜索は明日に決行することになった。

翌日、警察隊は羆のものと思われる血痕を追って雪が積もった森の中へ入っていった。だが、マタギの山本はこれだけ多くの人間がいたら気配を察知して現れないと言って、単独で風下から捜索。すると、大木で体を休めていた羆を発見。直ちに、山本のライフルから鋭い銃声が響いた。弾は羆の心臓に命中。それでも、羆は山本に突進しようとした矢先、山本の第二発目の弾丸が羆の頭部を打ち抜いた。さすがの羆もよろよろとしながら倒れて絶命した。

結果、3日間で延べ600人という大掛かりな羆狩りであったが、結局一人の腕の良いマタギによって仕留められた。彼は、戦後も生きて昭和25年に92歳で亡くなった。また、村人達にとっては余りにも残虐な事件だったため、もう思い出したくない或いはまた襲われるかもしれないという恐怖心から、一人、二人と村から去っていった。そして数年後には完全に村は無人になってしまった。


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