日航ジャンボ貨物機 UFO遭遇事件

-経緯-
昭和61年11月17日午後5時10分(日本時間18日午前11時10分)、フランスのパリ空港からボジョレヌーボーを満載した日本航空貨物機(JAL1628便)ボーイング747型機が成田空港へ向かう途中のアメリカ・アラスカ州の上空で巨大なUFOに遭遇した。

同機は、最終目的地である成田空港へ向かう際、最後の燃料補給のためアラスカのアンカレッジ空港に向かっていた。そのアンカレッジから北北東770kmの地点を高度10600m、時速約900kmで航行中、コックピットに突然閃光が走った。航空自衛隊で戦闘機のパイロットだったベテランパイロットの寺内謙寿機長(当時47歳)は、「おい!なんだあれは!」と、副操縦士と航空機関士に向かって叫んだ。

コックピットから、目を凝らして確認すると、2つの大きな閃光は、日航機から約4km先で下方650mで光っていた。その光は、小熊がじゃれあうように飛んでいたが、突然日航機に向かって急上昇してきた。すると今度は、日航機の上方200mで高度を維持しながら日航機と同じ速度で追尾してきた。日航機のレーダーには、金属を認識すると赤く見える陰影が映っていなかった。

危険を感じた寺内機長はアンカレッジの管制塔に緊急連絡を行う。その間も、巨大な光は日航機を追尾していたが、やがて夜が明けて下界が明るくなると、機長は驚愕した。それは、2つの大きな閃光は1つの巨大な物体であった。更には、その大きさはジャンボジェット機の数十倍で、まるで航空母艦の様だった。形は、茶筒体で光を放つ丸い電飾球が無数に付いており、それがグルグル回っていたという。

再度、寺内機長管は制塔に連絡すると、管制塔から360度の旋回と1200mの緊急降下の指示があった。更に、「確認のためF14戦闘機を発進させるか」との打診があった。だが、万が一、緊急事態にあってはという考えから、それを拒否した。結局、アンカレッジ国際空港へ着陸する直前までの50分間、約760kmにわたって追尾していたUFOは突然姿を消した。

-かん口令-
寺内機長は、その後知り合いのジャーナリストに事の顛末を話したことから、国内外で大騒ぎになった。寺内機長は、記者会見で詳細に報告するとともに、UFOのイラストも提示した。ところが、数日後には日本航空から「機長は、木星をUFOと思い込んだもの」とリリースして事態の沈静化を図った。また、副操縦士は「光ったことは覚えているがUFOは見ていない」、航空機関士にいたっては「なにも無かった」と証言していることも合わせて発表した。その後、マスコミも、機長は何かを見間違えたのではないかという雰囲気が支配的となり沈静化していった。

だが、あれから15年後の平成13年に当時、米国連邦航空局の職員で、事故調査部長だったジョン・キャラハン氏が寺内機長の報告を裏付ける証言があった。それによると、日航機がアラスカ上空で遭遇したUFOは、実際にレーダーで確認され、連邦航空局で追跡した事実があったことを認めた。

-寺内機長のその後-
寺内機長は、世間に不安を与えたとして、しばらくは地上勤務にまわされた。その後、再び機長に復帰するも、二度とこの事件のことは口にしなかったという。確かに、パイロットや客室乗務員は、このような目撃をした場合でも、正式に報告はしないという。精神疾患など、予期せぬ嫌疑を掛けられて第一線から外されるからだという。

本当のことはどうだったのだろうか? 副操縦士のコメントがあれば、かなり高い精度で結論がでると思うのだが。


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