国鉄・鶴見事故


−経緯−
昭和38年11月9日午後9時40分頃、東海道線の鶴見駅と新子安駅の間で国鉄(現在JR)の下り貨物列車が脱線転覆した。そこへ、上りの横須賀線の電車が貨物列車に衝突脱線した。さらに下りの横須賀線の電車が衝突し付近は騒然となった。この3重衝突で死者161人、重軽傷者119人の犠牲者を出す大惨事となった。駆けつけた救急隊員や病院の救護班、地元の住民が総出で救助活動したが、現場は血まみれの地獄模様だった。

−原因−
前年の三河島事故に次ぐ大惨事で国鉄に対する非難は大きく、国鉄は早急な対策を行うため事故解明に乗り出す。
事故調査は即日開始されたが、第1原因の貨物列車の脱線転覆は単独要因ではなく、車両の問題(老朽)・積載状況・線路状況・過密ダイヤなどが複雑に絡み合った「競合脱線」が原因とされた。国鉄は、この競合脱線の謎を解明するため北海道の根室本線で様々な角度で実験し競合脱線の謎に迫った。これら実験の結果、保線のあり方、車両の基準、緊急時のマニュアルなど数々の事故防止対策を行った。

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事故直後の現場


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