前穂高岳ナイロンザイル事件

-経緯-
昭和30年1月2日、北アルプスの前穂高岳東稜を登はん中の岩稜会(三重県鈴鹿市)の3人のパーティで最年少の若山五郎さん(三重大学1年生/当時19歳)が、およそ50センチ滑落した。トップを登はんしていた若山さんは、後から続く2人とザイルで結ばれており、当然ザイルにぶらさがって止まるはずだった。だが、岩角にかかった直径8ミリのザイルは簡単に切断して若山さんは谷底へ墜落した。若山さんの遺体は、その年の7月に発見され、その場で荼毘に付された。

-何故簡単にザイルは切断したのか-
ナイロン製ザイルは、昭和30年に入って市場に出始めた。メーカーの東京製綱は、従来の麻ザイルと比較して強度は数倍で約1トンの抗張力があり、更には軽量で柔らかく凍結の心配がないなど画期的なザイルであることを宣伝した。そこで、岩稜会も早速ナイロンザイルを購入。そしてその最初の登山が今回の事故になってしまった。

東京製綱側は、「事故の原因は使い方に問題があって、性能に関しては問題が無い」と主張。学者も他の山岳会もメーカーの主張に同調した。これに対して岩稜会は、ナイロンザイルが簡単に切断したと主張。東京製綱側の責任を追及した。

-苦闘の18年間-
岩稜会は、若山さんの実兄である石岡繁雄さんが高校で物理の教師として教壇に立つ側ら山岳部を創設。その後、卒業生らと民間山岳会「岩稜会」を結成。石岡さん自ら生涯を会長として活躍した。

物理学者である石岡さんは、弟が墜落した状況やザイルの切断面などから、明らかにザイルに欠陥あると主張。以後、自宅を実験室代わりにして欠陥を証明する研究を行なった。

一方、東京製綱側は、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治氏の指導の下、同年4月29日に同社の蒲郡工場(愛知県)で、報道関係者、山岳会関係者を集めて公開実験を行なった。だが、この実験は90度の岩角には1ミリ、45度の岩角には2ミリのR(丸み)を付けたことを公言しなかった。その結果、ナイロンザイルは麻ザイルよりも数倍も強いという誤った事実が報道され、更には「岩稜会は、自分達のミスをナイロンザイルのせいにした」と日本山岳協会の広報誌にも掲載され岩稜会は完全に孤立した。

岩稜会は、「岩角でのナイロンザイルの欠点を広報しないと、更なる犠牲者がでる」と日本山岳協会に申し入れたが完全に無視された。その間もナイロンザイルの切断で度々犠牲者が出ていた。

-真実が認められた-
弟の墜落事故死から18年後の昭和48年。長い間苦渋を舐めていた岩稜会は日の目を見ることになる。実兄の石岡氏が18年かけて、ついにナイロンザイルは鋭利な岩角に弱いことを公開実験で証明した。そして、自然界ではナイロンザイルに都合の良い岩などはむしろ珍しく、登はんの殆どは鋭利な角度を持った岩であることを考えると、8ミリのナイロンザイルは大変危険であることが実証された。

その翌年の昭和50年6月5、ロープの安全基準が交付され、これによって8ミリロープは登山用としては認められなくなった。そして、昭和52年には日本山岳協会は、昭和30年の実験方法は誤りであったことを広報誌に掲載し事実上の謝罪を行った。岩稜会は、その間少なくとも20人の登山者がザイルの切断で死亡していると発表したが、安全基準が交付されてからはザイルによる事故死は無くなった。

尚、この事件をモデルにしたフィクション、「氷壁/井上靖」や若山さんの実兄で安全基準制定の功労者である「氷壁・ナイロンザイル事件の真実/石岡繁雄著」が有名。


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