福岡大学ワンゲル羆襲撃事件

-経緯-
昭和45年7月25日、福岡大学のワンダーフォーゲル部が北海道日高山脈の芽室岳(標高1754m)からペテガリ岳(同1736m)に向けて縦走中、羆に遭遇して3人が死亡した。

このパーティは、竹松リーダ(福岡大3年生/当時21歳)、滝サブリーダ(同3年/当時22歳)、興梠さん(同2年/当時19歳)、西井さん(同1年生/当時19歳)、河原さん(同1年生/当時18歳)の5人。彼らは、同月12日に博多を出発。14日から入山していた。

入山してから11日目の25日夕方。中間地点のカムイエクウチカウシ山(標高1979m)の九ノ沢カールという場所でテントを張った。だが当初の計画から大幅に遅れていたため、彼らは翌日の26日に下山することを決めていた。

テントを張って間もなく、竹松リーダがテントから僅か10メートル程のところに羆がうろついているのを発見。当初は、恐がるというよりも、珍しさから写真を撮っていたのだが、やがて羆が近づいてきてリュックに入っている食糧をあさり始めると、次第に恐怖が沸いてきた。そこで、火を点けたり、飯盒などを打ち鳴らして羆を追い払った。

だが、午後9時頃に再び羆が現れてテントに大きな穴を開けた。どうやら、羆は人間の食べ物を食べた経験があるようで、彼らの食糧を執拗に狙っている様子だった。パーティは、恐怖の夜を過ごすことになった。2時間交代で寝ずの番をしていたが、結局全員が怖さのあまり寝ることができなかった。

翌日の26日午前4時30分、3回目の攻撃を受けた。今度は、テントを猛烈な力で引っ張って倒してしまった。テントから逃げ出した5人は、竹松リーダの指示で、滝サブリーダと河原さんの2人が下山して営林署に救助連絡をすることになった。2人は、下山途中に北海岳友会のパーティに出会った。このパーティも羆に襲われたため下山するところだと知った2人は、自分達の状況を伝えて救助の伝達をお願いした。2人は、来た道を引き返して午後1時に3人と合流。テントの修繕を行なって救助隊が来るのを待った。

だが、夕方になると羆は再び現れてテントのそばを離れなかった。このため、ここに居ては危険だと判断し、八ノ沢で設営していた鳥取大のパーティに合流しようと、テントから抜け出して無我夢中で歩き続けた。

-執拗に追いかけてくる羆の恐怖-
午後6時過ぎ。日が落ちて真っ暗闇の中、彼らはフッと後ろを振り返ると、羆が数メートルの所まで追いかけてきた。5人は一目散に逃げ出すも、河原さんが標的になったのか、彼の叫び声を最後に行方が分からなくなってしまった。また興梠さんは逃げる途中ではぐれてしまった。

竹松リーダは、とにかく下山して2人の救助を要請しようと、3人で下山した。が、暗闇から羆が現れて竹松リーダを追いかけた。その隙に、滝さん、西井さんの2人は五ノ沢の砂防ダム工事現場の事務所にたどり着き警察にようやく連絡することができた。

7月28日、救助隊が組織され3人の捜索が開始された。だが、3人は別々の場所で顔面が半分無かったり、腸をえぐり取られたり、正視できないほどの残酷な状態で発見された。救助隊は、天候不順のため遺体を麓まで運ぶのが困難であると判断。沢で荼毘され遺骨が郷里の博多に戻った。尚、羆は29日にハンター10人によって銃殺された。


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