東大阪集団リンチ殺人事件

-経緯-
平成18年6月25日、大学生の藤本翔士(当時21歳)と藤本の友人で無職の岩上哲也(当時21歳)の2人を殺害したとして指名手配されていた無職の小林竜司(当時21歳)は、母親に付き添われて岡山県警玉野署に出頭した。一体なにがあったのか。

-きっかけは些細な三角関係から-
東大阪大学4年生の藤本と同大学系列の短大を卒業後、アルバイト生活をしていた徳満優多(当時21歳)は、サークルのサッカーを通じて友人関係にあった。同年5月頃、徳満は同じサークルで藤本の彼女(当時18歳)と知りながら、その女性に「付き合って欲しい」などとメールを入れるようになった。

女性は、何度もメールされたことで次第に徳満に好意を抱くようになった。これに激怒した藤本は、徳満を呼び出して殴り合いの喧嘩になった。ここまでは、青春ドラマにもよくあるストーリで、喧嘩後に爽やかな笑顔で握手・・・とはならなかった。

喧嘩に勝った藤本は徳満に、「これで終わったと思うなよ。明日、指定した場所に来い」と捨てセリフを吐いて去って行った。翌日、腫れた顔面を見て心配した徳満の友人で東大阪大学3年生の佐藤勇樹(当時21歳)が、「そんな危険なところに一人で行かせるわけにはいかん。自分も一緒に行ったる」ということになり、藤本に指定した場所に2人で出かけた。

所が、指定した場所に行くと、藤本は友人で無職の岩上哲也(当時21歳)ら4人の男達と待っていた。結局、徳満と佐藤は数時間にわたり半殺しのリンチを受けた。更に、岩上は暴力団の名前を出して、「慰謝料50万円払え。払わなければ、生き埋めにしたるぞ」などと言って脅迫した。

ようやく開放された徳満と佐藤は、暴力団名(後日、判明するが岩上と暴力団との関係は一切無かった)を出されて完全に萎縮してしまった。そこで、佐藤の中学時代の同級生である無職の小林竜司(当時21歳)と大阪府立大学3年生の広畑智則(当時22歳)に相談した。

すると血気盛んな小林は、「ヤクザなんか怖くもなんともないわ。上等じゃ。やったろーやないか」ということになった。そこで、地の利がある岡山に、「慰謝料の50万円を払う」と誘い込み、藤本、岩上をフクロ叩きにする計画を練った。

6月18日の深夜、徳満らは藤本に、「約束の50万円を支払う。岡山の親戚まで一緒に行って欲しい」と連絡した。そこで、藤本と岩上、それに友人で会社員のAに運転を依頼して5人が岡山に向かった。そして、計画どおりに岡山のインターチェンジを下りて空き地に駐車した。その空き地で待っていたのは、小林、広畑ら7人のメンバーだった。

-残虐な集団リンチ-
小林は徳満に「ヤクザの名前だしたのはどいつや」と聞くと「こいつですわ」と岩上を指差した。すると、小林は「わしはヤクザが大嫌いなんじゃ」と叫びながら、警棒で岩上の脳天に思いっきり振り上げた。すると鈍い音がして岩上は崩れ落ちた。これが、きっかけで7人は藤本と岩上に殴る蹴るの集団リンチを加えた。これをただ呆然と見ていた、徳満、佐藤に対して小林は、「誰のためにやっとると思うとんねん」とバットを差し出してリンチに加わることを強要した。

瀕死の状態になった藤本と岩上は、かすれた声で「助けてください」と懇願するが、小林らは益々エスカレートしていった。そして、小林は仲間の一人にユンボで穴を掘れと命じた。瀕死の状態であったが、まだ息をしている2人を生き埋めにして現場を去った。

この時、運転役のAに対して、「警察に通報したら殺す」と言って開放したが、Aはすぐさま警察に保護を求めて事件が発覚した。指名手配を知った小林は逃走したが、逃げ切れないと観念し6月25日に警察に出頭したのだった。
この集団リンチの全体を計画した広畑は無期懲役、徳満は懲役11年、佐藤は同8年。殺害の主犯である小林は、平成23年3月25日最高裁は上告を棄却して死刑が確定した。


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