西山事件/沖縄返還協定機密漏洩事件

-経緯-
昭和47年4月4日東京地検特捜部は、毎日新聞社政治部の西山太吉記者(当時41歳)と外務省の女性事務官を、国家機密を漏らしたとして国家公務員法の守秘義務違反の疑いで逮捕した。

西山は、日米政府間の沖縄返還協定交渉のなかで、日本が法的に支払う義務がない経費を、「米国に代わって日本が肩代わりする」という機密文書を女性事務官から入手。日本政府を揺るがす一大スクープだったが、いつの間にか問題の本質がすり替わり、西山が女性事務官から機密文書を入手した方法が男女関係の仲によってもたらされたという一点が大きくクローズアップされて、別の意味で国内世論が騒然となった。

-沖縄返還協定-
佐藤首相は、政治家としての集大成として、米国からの沖縄返還交渉に全身全霊を打ち込んだ。その結果、昭和46年6月17日、佐藤首相は、リチャード・ニクソン米国大統領と沖縄返還協定に調印。翌年の昭和47年5月15日に発効され、沖縄の施政権は米国から日本に返還された。終戦から27年を経てようやく沖縄県が復活した。尚、佐藤首相は、その翌々月の7月に辞職して佐藤内閣は退陣した。

-機密文書の入手-
西山は政治部の外務省担当の記者だった。毎日のように、記事のネタ探しで省内を駆け回っていたある日、沖縄返還協定の交渉で中核となっていた審議官の秘書だった女性事務官に近づいた。最初は、一緒に食事する程度だったが、次第に一流ホテルで待ち合わせするなどエスカレートして、ついに男女関係の深い仲になった。

西山は、女性事務官に、「君には、絶対に迷惑を掛けないから。読んだら必ず返す」と言って、機密文書の持ち出しを依頼。断り切れなかった女性事務官は、躊躇しながら審議官に入ってくる機密文書を持ち出した。

西山は、その機密文書の中から、沖縄返還協定に基づき、「本来、日本に返還される土地の現状回復義務(地権者に対する土地現状復旧費など)は米国側にあるのに、日本政府がその費用である400万ドルを肩代わりする」との日米政府で取り交わした機密文書を発見した。

この背景には、当時米国がベトナム戦争に膨大な予算をつぎ込んで財政が圧迫。この状況下で、沖縄返還の予算化に対して米国議会は強固に反対していた。そこで日本政府は、400万ドルは米国側が支払ったことにして、アンダーグラウンドでは日本側が支払うという密約を、昭和46年5月に当時の愛知外相とマイヤー駐日大使と、6月には井川条約局長とスナイダー米国駐日公使と取り交わした。

また、詳細な金のやり取りに関しては、当時の福田蔵相と米財務長官デビィット・ケネディとの密談で取り決めされた。西山は、これらの機密文書を入手したのだった。これは、日本政府が国民を騙して言われ無き金を血税で支払うという許しがたき暴挙・愚行を暴く一大スクープであった。

-暴露-
西山は、この大スクープの取り扱いに躊躇した。それは、入手方法に後ろめたさがあったのか、あるいは日本政府を根底から揺るがすほどのスクープだったからなのか知る由もないが、結局新聞の小さいコラム欄に、中核部分を除いた内容で掲載されただけだった。

その後西山は、この機密文書を当時の野党第一党である社会党の楢崎弥之助議員と横路孝弘議員に渡した。両議員は、昭和47年3月の衆院予算委員会でこの機密文書を暴露。初めて、世間の知るところとなった。このスクープは瞬く間に広がり、日本政府は最大の危機を迎えるかに見えた矢先、機密文書の入手方法が男女関係によってもたらされたことが判明すると、佐藤首相をはじめ政府、与党自民党、官僚は問題の本質をすり替えていった。

当初、予算委員会で暴露された直後は、マスメディアが一斉に政府批判を展開したが、機密文書の入手方法が判明した途端、西山、毎日新聞社への批判へと矛先が変わった。また、週刊誌では、興味本位の情事に関してクローズアップ。世論も、「女性を騙して機密文書を得るとは、記者の風上にもおけぬ。人間性を疑う」、「騙された女性事務官がかわいそう」という流れが大勢を占めた。まさに政府の思うツボであった。

-本事件の分岐点-
東京地検特捜部は、国家機密の漏洩行為の容疑で2人を起訴した。これは、機密文書の入手方法に関する違法性を問うものであり、密約が日米政府間であったのか否かという本質的な究明は行なわれなかった。まさに政府にとっては好都合であった。

一方、西山は「報道の自由。国民の知る権利」を主張し、「たとえ入手方法がどうであれ、入手した機密文書は国民にとって重大かつ重要な情報である」と主張し真っ向から反論した。

昭和49年1月30日東京地裁は、西山に無罪。女性事務官に懲役6ヶ月、執行猶予1年の有罪判決を言い渡した。女性事務官は控訴せず確定。検察側は、西山の無罪判決を不服として控訴。昭和51年7月20日東京高裁は、西山に懲役4ヶ月、執行猶予1年の有罪判決。昭和53年5月30日最高裁は西山の上告を破棄して西山に有罪が確定した。

-機密文書の行方-
この事件から、民主党に政権交代があった平成21年までの37年間、政府・自民党・官僚は、「そのような密約は無かった」と言い張ってきた。平成12年5月に、米国公文書館で機密指定解除となっていた本件機密文書が発見されても、知らない、無かったと言い張った。尚、この発見された機密文書には、日本側が1億8700万ドルを米国に提供する内の一部が本件の400万ドルであったことも判明した。

この機密文書の存在を認め密約があったことを正式に認めたのは民主党が政権をとった唯一の成果だったかも知れない。それにしても、40年近くも、歴代の首相、大臣、官僚、与党自民党は、国民に嘘をつき騙し通した。その張本人の故佐藤栄作元首相は、その間に平和ノーベル賞を受賞している。

今でも、報道の自由とはどこまでを言うのか?国民の知る権利はどこまでを言うのか?考えさせられる事件だった。尚、女性事務官は、このことで離婚を余儀なくされその後の人生が滅茶苦茶になった。一方、西山は公判中に毎日新聞社を退社して、郷里の実家で青果業を営むかたわら、在野のジャーナリストとして活動した。


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