BOAC機富士山で墜落


−経緯−
カナダ航空羽田空港着陸失敗事故の翌日、昭和41年3月5日の午後、東京発・ロンドン行きBOAC航空のボーイング707型機(乗客113人、乗員11人)が富士山南ろくの太郎坊付近に墜落。124人全員が死亡した。

−サービスがあだ−
当時の天候は快晴で、BOAC機は順調に羽田空港を離陸した。しかし、東京航空地方気象台では「中部山岳地帯の上空は、かなり激しい気流の乱れがある」と警報を出していた。BOAC機は当初、館山から大島を経由して足摺岬、徳島、鹿児島を進行する「ジェットグリーン6」を航行する予定であった。が、天候が良く有視界飛行が可能の場合、機長の判断で羽田から真っ直ぐ富士山に向かい名古屋に進行する「レッド23」の航路も選択できた。特に機内から見える富士山は団体客から喜ばれるためしばしばこのコースを選択する航空機はあった。

今回のBOAC機もサービスのつもりで航路を変更し、富士山見物のため富士山に接近していた。ところが富士山が目前に迫った時、突然機体が大きくローリングし失速、やがてキリモミ状態になり墜落した。

富士山付近は快晴でも頂上付近では猛烈な乱気流を発生する。上昇気流と下降気流が複雑に乱気流を発生させるのだ。昭和37年2月、航空自衛隊2機が富士山手前で気流に突っ込み墜落した事例もある。これが教訓となり今日では富士山に近づく「サービス航路」は無くなった。

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事故現場の富士山麓 墜落を偶然捉えた写真


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