栗岡病院・患者虐待殺人事件


-経緯-
昭和43年12月24日、大阪府内の栗岡病院に入院していた精神病患者16人は、栗岡良幸院長と4人の職員に角材やバットなどで滅多打ちされて、内1名が死亡する事件が起きた。この虐待の理由は、患者16人が病院を脱走する企てを知った栗岡院長が激怒。職員を集めて患者に凄惨なリンチを加えたのだった。病院側は、死亡した患者の死因を急性肺炎で処理した。

この事実を知った患者が、病院側の虐待行為や患者が殺された内容を書いた手紙を、医師、看護士、職員等に見つからないように鉄格子の窓から病院の外に向かって投げた。やがて、何通目かの手紙が通行人によって警察に届けられた。警察は、当初いたずらの可能性もあると見ていたが、栗岡病院の内偵を始めると虐待行為が確かにあることが判明。昭和44年10月、大阪府警は同病院に立ち入り検査を行った。その結果、虐待で患者を死亡させた容疑で栗岡院長、職員4人を逮捕した。

-虐待の実態-
大阪府警の捜査で、栗岡病院の恐ろしい実態が次々と明るみに出た。同病院は、入院患者の通信・面会を極端なまでに制限していた。まず、面会は看護士立会いで15分。筆記用具の病室持ち込み禁止。その他、数々の制限を行い、極力外部からの接触を避けるようにした。

入院患者が家族や友人との面会で病院側の不都合なことを漏らすと、面会人が退室した後、殴る蹴るの凄惨なリンチが待っていた。また電気ショックや保護室への拘禁などの懲罰も恒常的に行われていたことが判明した。

死亡した患者の遺族と市民団体は、「栗岡病院を糾弾し解体する会」を結成。死亡患者の慰謝料等1800万円を請求する民事訴訟を起こした。病院側は、医療体制の不備があったことを認めて1600万円を支払うことで和解した。刑事事件では、昭和55年5月に大阪地裁は、栗岡院長に懲役3年、職員等もそれぞれ有罪判決を下した。

当時、精神病院の人権無視、反道徳的な行為は、しばしばマスメディアでも取り上げられたが、「宇都宮病院事件」でも同様の事件が発生。多くの病院は、健全な医療行為が行われていることは事実としても、病院は密室地帯であることを改めて再認識するような事件だった。尚、その後栗岡病院は廃院となった。


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