カナダ太平洋航空、羽田着陸失敗


−経緯−
全日空羽田沖墜落事故から1ヶ月後に悪夢は繰り返された。昭和41年3月4日午後8時過ぎ、香港発東京・バンクーバ経由ブエノスアイレス行きのカナダ太平洋航空402便(DC−8型機・乗客62人、乗員10人)が、羽田空港C滑走路に着陸失敗、滑走路の南端の防波堤に激突・炎上した。この事故で死者64人、負傷者8人をだす大惨事となった。

−悲劇を生んだ1分−
402便が香港を離陸した時から、羽田空港は濃霧で視界はわずか0.9キロ。着陸可能条件の1キロに満たない状況であった。このため羽田空港に向かっていた他の航空機は代替空港へ向かった。しかし、402便は「なるべく羽田に着陸したい」と千葉県・木更津沖上空で45分間も旋回し天候の回復を待った。が、その後も天候の回復は無いと判断した機長は「代替空港の台北に向かう」と管制塔へ連絡し機首を館山へ向けた。その直後、羽田管制塔から「視界が1.1キロになった」と連絡を受ける。

そこで402便は急遽、羽田空港への着陸態勢に入った。(早く着陸しないとまた視界が悪くなるかもしれない)このような不安が機長達にあったのだろうか?402便は通常の降下率より大きく降下しだす。羽田空港の堤防から1600メートル先の海上では通常90メートルの高度に対して402便は57メートル。このため管制塔は「着陸中止。再度木更津に引き返してやり直せ」と指示したが、パイロットからは、「管制塔、滑走路灯火の減光をお願いできますか?」との応答を最後に、402便はアプローチライトに右側主脚を接触させ、そのまま堤防に機体の一部を引っ掛けて墜落、炎上したのだった。


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