桶川ストーカ女子大生刺殺事件


−経緯−
成11年10月26日午後12時53分頃、埼玉県上尾市の女子大生・猪野詩織さん(当時21歳)は、大学に行くためJR桶川駅西口前の路上で自宅から乗ってきた自転車に鍵をかけようとしていたところを突然男に背中と胸部の2ヵ所を鋭利な刃物で刺された。通行人らが詩織さんを介抱したが即死状態だった。目撃者の証言によると犯人は詩織さんを刺した後、ニタっと薄笑いしながら逃走したという。

翌日の新聞、テレビのニュース報道で「詩織さん刺殺はストーカかの犯行か?」というタイトルが踊った。詩織さんはかつて交際していた男からつきまとわれて嫌がらせを受けていたということだった。その男とは小松和人(当時26歳)であった。

詩織さんは、平成11年1月6日大宮駅の繁華街にあるゲームセンターで女友達と2人でプリクラを撮ろうとした。ところが、お金を入れても機械が動かなかった。そこで、詩織さん達が機械を叩いたりしていた時、「どうしたの」と声をかけてきたのが和人だった。詩織さんに一目惚れした和人は、詩織さん達をカラオケに誘った。この時、携帯番号を互いに教えて交際が始まった。

−脅迫−
和人は詩織さんに高級自動車販売をしている実業家と称していた。付き合い初めた頃は、ドライブや食事をする程度であったが、次第に高額なプレゼントを押し付けられるようになった。ブランドの高級バックやスーツなど会うたびにプレゼント攻勢をかけてくることに不安を抱いた詩織さんは和人に別れ話を持ち出した(別れる気持ちになったのは、この事だけではない。若いのに2台のベンツを乗り回しトランクには1000万円単位の現金が入ってる。交通事故で病院に見舞いに行った時には、ベットの回りにヤクザ風の男達がいたり、考えれば考えるほど和人が何をしている男なのか不気味でもあり不安だった)。

詩織さんの別れ話に和人は激昂。突然態度を豹変させ詩織さんに「金を返せ」、「家族をメチャクチャにしてやる」、「風俗店で働かせる」などの脅迫をした。和人は興信所に依頼して詩織さんの父親の会社や詩織さんの友人関係を調査していた。そして和人は詩織さんの男友人に電話をかけて「詩織と交際するな。近づいたら告訴するぞ」などと電話を掛けまくった。また、女友達には金を払って詩織さんの行動を逐一調査していた。

和人は詩織さんに「それでも別れるというなら、お前を精神的に追い詰めて天罰を下す。親父はリストラで一家は崩壊だ。俺を普通の男と思うな。俺を裏切る女は許さない。俺の人脈と全財産を使ってでも徹底的にお前を叩き潰す。いいか、俺は自分では手を下さない。金で動く人間はいくらでもいるんだ」と凄んだ。

6月14日には、和人と見知らぬ男2人の3人が「詩織さん、いますかぁ。あがらせてもらいまーす」と言って家に上がりこんできた。1人の男が和人の会社の上司だといって、「会社の金を横領した和人がお宅のお嬢さんに貢いだ。金を返せ」などと脅迫した。詩織さんの父親は「話があるなら警察に行こう」と切り出すと、男は「このままではすまないぞ。お前の会社に内容証明の手紙を送る。覚えておけ」と凄んで帰っていった。

−動かない警察−
毎日怯える生活。詩織さんや家族は限界だった。意を決して所轄の上尾警察署に訴えた。詩織さんらは和人達が家に上がりこんできた時のテープなどを持参して経緯を懸命に説明した。ところが年配の刑事が「ダメダメ、これは事件にならないよ」と言って、さらに「そんなにプレゼントをもらってから別れたいと言えば、普通男は怒るよ。あなたもいい思いしたんじゃないの?男女の問題だから警察は立ち入れないんだよね」と信じられない言葉が返ってきた。

何度説明しても上尾署は動かなかった。一方、和人の嫌がらせは益々エスカレートしていった。7月13日詩織さんの自宅周辺や大学がある駅周辺で詩織さんの顔写真と誹謗中傷を書いたポスターを電柱に貼り付けたのである。

7月29日、詩織さんは小松を告訴した。上尾署は「今、試験なんでしょ。試験が終わってから出直して来ればいいのに」と言って渋々受領した。

8月23日には、詩織さんの父親の勤務先の支店と本社に1200通という大量の誹謗中傷の手紙が送られてきた。翌日の24日、詩織さんの父親は、この手紙を上尾署に持参したが、これを見た刑事は「これはいい紙を使っていますね。手がこんでいるなぁ」と笑いながら一切受け付けなかった。

−告訴の取り下げ要請−
9月21日、上尾署の刑事が詩織さん宅に訪問。この刑事は「告訴を取り下げて欲しい。またいつでも告訴できますから(これは嘘。一度告訴を取り下げると同じ事犯での告訴はできない)」と要請した。詩織さんの家族はこれを拒否した。

後日、判明するのだが成績主義に奔走する上司が詩織さんの告訴になんら興味を示さず、むしろ他捜査の妨げになると暗に指摘。そこで、担当刑事が告訴の取り下げを詩織さんの家族に要請したことが判明した。だが、詩織さんの家族は拒否したため、担当刑事は「告訴」を「届け出」に改ざんしたのだった。

さらに、事件後この事実がマスコミで報道されると、この事実を隠蔽するためもう一度「届け出」から「告訴」に改ざん。即ち告訴状は2回も2本線を入れていたのだった。

−犯人追跡は1人のジャーナリストだった−
この事件を正面から捉えて果敢な調査をしたのがFOCUSの清水潔記者だった。彼は詩織さんの友人から「詩織は小松と警察に殺されたんです」という言葉から衝撃を受けて調査を開始した。

次第に、和人の正体が判明していく。和人は池袋を中心に風俗店を数件経営していた。さらに、詩織さんを刺殺した犯人の人相から風俗店の従業員だった保田祥史(当時34歳)であることをつきとめた。さらに同僚の伊藤嘉孝(当時32歳)、川上聡(当時31歳)も共犯であることをつきとめる。清水氏は某記者を経由して警察に連絡。警察もようやく動き出した。

12月19日、警察はついに久保田を逮捕した。取調べで「和人の実兄で小松武史(当時33歳)から悪い女がいるから殺してほしいと持ちかけられた」と供述。詩織さん殺害の実行犯は久保田、逃走用の車の運転は川上、詩織さんが自宅から出るところを見張っていたのが伊藤だった。さらに犯行後、殺しの報酬として武史から3人に1800万円を受け取っていたことが判明した。尚、詩織さん宅に乗り込んできたのは和人と2人の男、それは武史と久保田であったことも判明した。

だが、肝心の和人の行方は掴めなかった。沖縄に潜伏しているという噂があったが、実は北海道へ逃亡していた。12月27日、屈斜路湖に身投げして自殺していた。凍死した死体を検証した結果、和人であることが確認された。

共犯の4人は埼玉地裁から久保田祥史に懲役18年、伊藤嘉孝と川上聡に懲役15年を言い渡され刑が確定。小松武史は無期懲役の判決を不服として控訴した。

平成17年12月20日、東京高裁は主犯格である小松武史に対して「自ら手を下さずに、共犯者に多額の報酬を支払っており首謀者だ」として無期懲役とした一審の埼玉地裁判決を支持し小松武史の控訴を棄却した。

だが、事件の本質は和人が実行犯にどのような指示をしたのか?この背景の解明なくして事件の全面解決とはいえないのだが、警察はこの線の捜査に関しては消極的だった。詩織さんが悩んだあげく上尾署に相談した時、明らかに脅迫であり住居不法侵入であることが明確なテープまで持参しているのに警察は動かなかった。この時、警察が和人に何らかの行動を起こしていれば、詩織さんは今頃幸せな家庭を築いていたと思うと残念であり、また警察に対する憤りを禁じえない。

詩織さんにとって不幸だったのは、【何故あのときプリクラの機械が壊れていたのか】、【所轄が上尾警察署だったこと】、【犯人のあまりにも異常な性格】という3つが重なったことであろう。

−警察官処分−
この事件で、杜撰な対応をした警察官は以下の処分が下された
桐敏男、古田裕一、本多剛の3人を懲戒免職処分
西村浩司埼玉県警本部長(当時55歳)を減給10%(1ヶ月)
茂木邦英県警刑事部主席調査官(当時48歳/当時・上尾署刑事生活安全担当次長)を減給10%(4ヶ月)
横内泉刑事部長(当時40歳)を減給5%(1ヶ月)
渡部兼光上尾署長(当時55歳)を減給10%(2ヶ月)
山田効上尾署刑事生活安全担当次長(当時46歳)を減給10%(1ヶ月)他

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参考文献:桶川ストーカ殺人事件(新潮文庫)・清水潔著ほか。


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