少年ライフル魔


−経緯−
昭和40年7月29日午前11時頃、神奈川県座間市ひばりが丘の林で、ライフルを持って歩いていた片桐操(18才)は、警官に呼び止められた。この威圧的な態度に、かっとなった片桐は持っていたライフルで、この警官を射殺。駆けつけたもう一人の警官にも発砲した。警察服・ピストル・警察手帳を盗んで警察官になりすました片桐は、近所の家に「警官が撃たれた、犯人を追いかけるので車を貸して欲しい」と申し出て車に便乗した。

次第に様子がおかしいと感じた車の持ち主が、交番手前で急ブレーキを掛けて交番に逃げ込んだ。そこで片桐は、車を降りて付近を通りかかった別の車に乗り込み、運転手に渋谷方面に行くよう脅した。渋谷方面に向かう途中、カーラジオから「神奈川県警では検問に警官3000人を配置した」との臨時ニュースが流れた。「3000人対1人か」と片桐は途方に暮れたようにつぶやいた。

渋谷に着くと、銃砲店に入り店員を人質に銃撃戦を展開。撃った弾150発、負傷者18人、逃走で巻き込まれた人8人、警官1人死亡、1人重症。8時間に及ぶ市街戦であった。

−その後−
片桐は小学校5年生の時に実の母と死に別れ、現在の義母に育てられた。義母は片桐にやさしく接して彼もこれに応える素直な青年であったという。中学校を卒業後、船員になったが、1万8000円の給料のうち1万5000円を家に送り貯金をしていた。理由は、大好きなライフル銃を購入したいということだった。片桐は射撃場に行くこととライフルを分解メンテナンスすることが唯一の生きがいだったという。

それが、ちょっとしたきっかけで、ここまできてしまった。彼は、一審で無期。二審で死刑判決がでたが「銃への魅力は今尚つきない。将来、社会へ出て再びこのように多くの人々に迷惑をかけることがないように死刑にしてほしい」と述べている。昭和44年10月2日、最高裁は上告を棄却して片桐に死刑が確定。昭和47年7月21日、25才の若さで片桐は死刑執行によりこの世を去った。

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人質を盾にライフル銃を構える片桐(左)


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