看守殺害・脱走事件


-経緯-
昭和36年1月21日、中野刑務所で服役中だった清水義平(当時25歳)は、服役仲間と便所で監視していた梁瀬三喜雄看守(当時37歳)をバールで滅多打ちして殺害し刑務所を脱走した。その後、仲間は自首したが、清水は翌日、中学生の通報で王子駅前をうろついていたところを警察に逮捕された。昭和38年3月28日に死刑が確定した。清水は、本事件を起こしたため数年で仮出所するところを死刑囚となってしまった。

-その他の脱走犯-
この他にも、看守を殺害して逃走或いは未遂が数件ある。昭和27年11月29日、「大阪・看板屋父子殺人事件」の中島英蔵は、一審で死刑を言い渡されて大阪拘置所で収監中、内妻から差し入れされた宗教本の背に隠しいれた金ノコで鉄格子を切断して脱走。2日後に神戸で逮捕されたが、脱走の動機は内妻に会いたい一心であった。その他、高野明(昭和24年6月26日死刑確定)、徳久炳浩(昭和24年12月22日死刑確定)、田村磨輝男(昭和35年8月4日死刑確定)、清水貞夫(昭和44年12月16日死刑確定)などいずれも即日逮捕されている。

山下栄一は、千葉県松戸市のヤミ屋一家3人殺人事件で東京高裁から死刑判決を受けて上告中。曽栄坤は、世田谷松沢マーケット商人殺しで同じく公判中で東京拘置所に収監。この2人は、昭和28年2月19日に東京拘置所を脱獄。翌日、逃亡先の京都駅前で逮捕され山下は昭和31年に死刑が執行されている(曽は不明)。

脱走してから逮捕されるまでの最長は「栃木・雑貨商一家殺人事件」の菊池正で東京拘置所から脱走して栃木の実家を訪ねる間の10日間を逃走し続けた。


ホーム

inserted by FC2 system