日建土木事件


-経緯-
昭和52年1月7日、暴力団幹部の西尾立昭(当時39歳)は、配下の組員4人と共謀し、名古屋市内の日建土木株式会社、取締役尾関博澄さん(当時48歳)を浜松市内で絞殺。保険金を騙し取ろうとしたが、保険会社から不審を抱かれ失敗した。

そもそも事件は、前年の昭和51年4月頃、日建土木の実質的経営者のAが、会社の資金繰りに困窮していたため、西尾立昭に相談したことから始まった。2人は、同社の役員や従業員に保険金を掛けて殺害して多額の保険金を騙し取ろうと共謀した。

そこで、名目上の社長のBさん、従業員のCさん、それと尾関さんの3人に保険を掛けた。その後、西尾は配下の者と共謀してBさんを一泊旅行へ行こうと長良川や恵那峡ダムへ誘い出したが、Bさんが不審を抱いたので失敗。

また、従業員のCさんには交通事故を装って全治2ヶ月の傷害を負わせたが、いずれも殺人には至らず保険会社から傷害として630万円を受け取った。その後、昭和52年になって尾関さんの殺害に至るが、結局保険金の騙取は630万円を受け取っただけであった。

-死刑と無期懲役-
昭和55年7月8日、名古屋地裁は西尾に死刑を言い渡した。これに対して西尾は、首謀者はAであり、自分は手伝ったにすぎないと主張。だが、昭和56年9月10日、名古屋高裁は西尾の控訴を棄却。平成元年3月28日、最高裁は西尾の上告を棄却して死刑が確定した。平成10年11月19日、名古屋拘置所で死刑執行。享年61歳。

Aは、一審、二審では死刑判決だった。だが、平成8年9月20日、最高裁は、殺害されたのは1人であり、殺害の実行には関与していないなどの点を酌量し、一審・二審判決を破棄して無期懲役を言い渡した。最高裁が、量刑不当を理由に死刑判決を棄却したのは戦後2件目。


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