北海道庁爆破事件


−経緯−
昭和51年3月2日午前9時2分頃、北海道庁本庁舎1階ロビーで消火器に仕掛けられた時限爆弾が爆発。おりしも出勤時間であったため職員2人が死亡。95人の職員等が重軽傷を負った。

北海道警と札幌署は、左翼組織によるテロと断定し捜査を始めた。すると間もなく、市営地下鉄の大通駅のコインロッカーから゛東アジア反日武装戦線゛と名乗る組織からカタカナ文字の犯行声明が発見された。この組織は、アイヌ民族に対して行った日本政府の侵略を糾弾する活動を続けていた。昭和49年8月30日には、東京・丸の内の三菱重工ビル爆破事件を起こして、8人が死亡、370人に重軽傷を負わせた。

その後、警察の捜査で同組織の元リーダのメモからメンバーの大森勝久(当時26歳)が捜査線上に浮上。同年8月10日、大森を爆発物取締法違反の容疑で逮捕した。

大森は、取調べ段階から完全黙秘。公判では一貫して無実を主張していたが、自宅アパートの蒲団から爆弾に仕掛けたものと思われる同様の旅行用時計のネジが発見されるなど、状況証拠から道庁爆破の犯人と断定し、道警は大森を再逮捕した。

−死刑確定−
大森は、犯行当時にアリバイがあると主張していたが認められず、昭和58年3月29日、札幌地裁は大森に死刑を言い渡した。これに対して大森は、あくまでも無実で事実誤認として控訴。昭和63年1月21日、札幌高裁は一審判決を支持して大森の控訴を棄却。平成6年7月15日、最高裁は大森の上告を棄却して死刑が確定した。


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