山梨・新潟連続殺人事件


−経緯−
昭和61年3月6日、無職の藤島光雄(当時27歳)は、山梨県の元妻A子の実家で、A子の祖母(当時73歳)に素行のことでとがめられ激高。風呂場の浴室に祖母の頭を両手で押し付けて窒息死させた。その後、外出先から戻ってきたA子と逃走した。

藤島は、新潟でA子と結婚し子供を一人設けたが、定職につかず生活費はA子がまかなっていた。前年の昭和60年に、藤島が傷害罪で新潟刑務所に収監されたのを機会にA子は離婚届けを提出した。だが、藤島の判決は執行猶予だったため3ヶ月で出所。その後、一方的に離婚したA子を尋ねて山梨の実家に出向いた直後の犯行だった。

その後、新潟に逃走した2人は、A子と婚約した茨城県の会社員Bさん(当時26歳)から、金を奪おうと計画。同月11日、Bさんを新潟のラブホテルに誘い出し部屋で両手両足をシーツで縛って浴槽で窒息死させた。その後、Bさんの遺体は円形ベットのマットを剥がして中空になっている部分に押し込んで逃走した。同月17日、藤島は京都で銃刀法違反で現行犯逮捕され、その後の取り調べで2人の殺害が発覚した。

−死刑確定−
昭和62年7月6日、甲府地裁は藤島に死刑を言い渡した。これに対して、弁護側は、藤島の幼児期の虐待が事件の背景にあるとして減刑を主張。昭和63年12月15日、東京高裁は一審判決を支持して藤島の控訴を棄却。平成7年6月8日、最高裁は藤島の上告を棄却して死刑が確定。現在、再審請求中。尚、A子は懲役5年が確定。


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