内妻一家4人殺人事件


-経緯-
昭和51年6月13日午後11時30分頃、、秋好英明(当時34歳)は、福岡県飯塚市に住む内妻の姉宅に侵入。就寝中の姉(当時44歳)と夫(当時46歳)を包丁で刺して殺害。更に二階で就寝中の母親(当時73歳)と長女(当時20歳)も同様に殺害した。この騒ぎで、二階で寝ていた内妻は外に脱出して交番に助けを求めたため一命を取り留めた。内妻の報告を受けた警察は、直ちに現場に急行したが、4人の血まみれになった遺体があるのみで犯人の秋好は既に逃走していた。

翌日、秋好は付近のK短期大学構内の小屋でガス自殺を図ろうとしたが失敗。放課後に居残っていた女子大生は、火傷を負っている秋好を見て警察に通報。やがて駆けつけてきた警察に逮捕された。秋好は警察の取り調べで、4人の殺害を素直に認めて、「一旦は、内妻との結婚を承認してもらったが、その後になって経歴偽装やギャンブルの借金を抱えていたことが発覚。姉夫婦に結婚を反対されたため恨んで犯行におよんだ」と自供した。

-死刑確定-
秋好は、当初4人の殺害を認めていたが、一審の公判で証人として出廷した内妻が、「大事な家族を殺害されて恨んでいる」などと証言。この態度に秋好は激昂した。そして、今までの供述を一転して、「自分が殺害したのは母親だけで、姉等3人の殺害は内妻の犯行である」と主張した。その証拠として、内妻が事件前日に秋好に渡したとする、「アシタヨル、イエニキンシャイ」と書かれたメモを裁判所に提出。明らかに、内妻との共謀を裏付けるものと主張した。

秋好は、内妻と結婚するため大阪の工場で共稼ぎをして、毎月の給料から積み立て金を内妻の実家に送っていた。2人が飯塚市に戻ると、義理の姉妹達は、「そのような金は知らない」と言い張り、更には罵詈雑言を秋好に浴びせた。そこで、2人で心中を考えたが、死ぬ前に恨みを晴らそうと姉妹達も道連れに殺すことを決意。最初に内妻が、出刃包丁で姉夫婦と姉の長女を刺して殺害。自分は、義母しか殺害していないと供述した。これに対して内妻は、「秋好の供述は嘘。自分が寝ている間に秋好が4人を殺害した」と真っ向から対立した。

昭和60年5月31日、福岡地裁飯塚支部は、秋好に死刑を言い渡した。秋好は、これを不服として控訴。平成3年12月9日、福岡高裁は、「メモの筆跡は内妻のものとは異なる」などと指摘して、一審判決を支持。秋好の控訴を破棄した。平成9年9月11日、最高裁は一審、二審判決を支持して秋好の上告を棄却。秋好に死刑が確定した。現在、再審請求中。


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