埼玉3人殺人事件


-経緯-
昭和47年2月1日、とび職の高田和三郎(当時39歳)は、知人の不動産業者(当時53歳)が埼玉県熊谷市の農業Aさん(当時45歳)から預かった金を使い込んでしまったことから相談を受けた。そこで、高田は2人で共謀しAさんの殺害を計画。Aさんを呼び出してハンマーで殴って殺害した。

その後、翌年の昭和48年7月、高田は犯行が発覚することを恐れ、口封じのため共犯の不動産業者をジャッキで殴り殺害した。更に昭和49年2月には、多額の預金を持っていた知人のBさん(当時32歳)の頭を石で殴打して殺害。銀行から現金約300万円を引き出して遺体を山林に埋めて遺棄した。

-死刑確定-
高田は、取り調べで3人の殺害を認めていたが、一審の公判途中から「第二と第三の犯行は、別に共犯がいる。また殺害方法は、検察側の主張とは異なる」として供述を変更した。また、第二の犯行である不動産業者殺害では、いまだに遺体が発見されておらず凶器も特定できていない。

また、高田が親方と呼んでいたCさんが、事件に関して事情聴取を受けた。その保釈直後に自殺したため、3つの事件は全て高田の単独犯だと決め付けられたと弁護側が主張した。たが、昭和61年3月28日、浦和地裁は、第一のAさん殺害に関しては懲役14年。第二、第三の犯行では死刑を言い渡した。平成6年9月14日、東京高裁は一審を支持して高田の控訴を棄却。平成11年2月15日、最高裁は高田の上告を棄却して死刑が確定した。現在、高田は冤罪だとして再審請求中。


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