大阪ニセ夜間金庫事件


−経緯−
昭和48年2月25日午後9時過ぎ、大阪市北区梅田の三和銀行梅田北支店の夜間金庫に、店の売上金を預けようとした店長が不審を抱いた。金庫は、何故か膨れ上がり投入口から現金を入れた際、中が詰まっており入れた現金が再び取り出せるような状態だった。そこで、店長は銀行の警備員に通報。警備会社からの連絡で銀行員も現場に駆けつけて調べた結果、この夜間金庫はニセ物であることが判明。銀行員は、直ちに警察に届け出た。

警察と銀行側の調べによると、本物の夜間金庫は当日の午後8時40分までは問題なく利用されていた。その後、犯人は鍵穴に異物を埋め込んで利用できないように細工すると共に、「−御利用のお客様へ− 鍵の接損事故により投入開閉不能となりましたので、誠にご足労ですが、当銀行専用通用口の仮金庫迄御廻り下さい。三和銀行」と記載された張り紙を貼って、ニセ夜間金庫へ誘導していた。

このニセ夜間金庫を最初に利用した客は8時50分過ぎに案内に記載されている通り、銀行の専用口に回ってニセ夜間金庫に現金を投入していた。その間、犯人は、本物の夜間金庫の細工と、ニセ夜間金庫の設置など僅かな時間で行っており、犯行は単独とは考えられず少なくとも3人以上の犯行と推定された。

警察の調べで、このニセ夜間金庫は、銀行裏口の職員専用の出入り口ドアの寸法に合わせて、ベニア板で作られていた。さらに、外側はアルミ板で覆い金属製の重厚感を出していた。また、右側に細工したレバーを下げるとプラスチックの預かり札が出てくるという作りで、利用した人はニセ物だとは気付かず発覚するまで25人、約2600万円の現金を投入していた。

また、当日は給料が出た最初の日曜日で、商店街は一番活気があり売上が多いことや、銀行は逆に休日のため警備が手薄であったことなどから、相当綿密に計画された犯行であることが分かる。犯人は、このニセ夜間金庫を設置した場所から、突き当たりの非常階段で見張っていたとみえ、タバコが数本捨ててあった。但し、犯人側の誤算は僅か20分程度でベニア板が膨らむほどの多額の現金が投入されるとは予想もしていなかったようで、現金を奪う前に警備員が現れたため犯行は失敗に終わった。

−第二の犯行−
同年、5月1日に大丸デパートに3000万円を要求する脅迫状が届いた。その脅迫状によると、「そごうデパートで事件が起こる」と予告しており、その3日後に、そごうデパートの寝具売場のマットに何者かが放火する事件が起きた。そこで、大丸デパート側は警察に通報するとともに、ニセの3000万円を入れたカバンを用意して、犯人側が指定した神戸市三宮にある地下駐車場にある乗用車のトランクにカバンを入れた。

その後、犯人は現れなかったため、警察がこの乗用車を調べたところ、トランクの底側にベニア板が設置され、トランクを閉めるとベニア板がスライドしてカバンが地面に落ちるという細工がしてあった。警察は、このベニア板を調べた結果、切断面や模様から三和銀行のニセ夜間金庫で使われていたベニア板と同じであることを突き止めた。このため、大丸脅迫事件とニセ金庫事件は同一の犯人であることが判明した。

だが、警察の懸命な捜査も空しく昭和55年に時効が成立し、ついに犯人検挙には至らなかった。この事件の様態は、その後の昭和59年3月に発生した「グリコ・森永事件」に似ていると指摘する声も多い。犯人がどことなく権力側をあざけ笑い、犯行は冷静沈着でありどこか愉快犯を思わせる。


ホーム

inserted by FC2 system