日本海中部地震


−経緯−
昭和58年5月26日午後12時、秋田県男鹿半島の北西70kmの沖合いでマグニチュード7.7の大規模な地震が発生した。秋田県秋田市、青森県むつ市で震度5の強震を観測したほか、青森県八戸市で震度4の中震、北海道から関東、近畿、中国地方の広い範囲で有感となった。

仙台管区気象台は午後12時14分に津波警報を発令したが、津波の速度は予想以上に速く、すでに男鹿や深浦では津波の第一波が襲来していた。各地域の最大潮位は男鹿で53cm、能代で194cmと公表したが、東京大学が現地調査した結果、青森県から秋田県男鹿半島にかけた沿岸で平常潮位より最大6メートルの高さに達したという。

−津波の被害者と被害額−
この地震による直接の犠牲者は4人だった(地震によるショック死2人、器物倒壊による死亡2人)。残りの100人は地震で発生した津波によるもので、港湾工事で作業していた41人、釣り人17人など、いずれも津波警報前にはすでに津波の第一波が襲来していたため、多くの犠牲者は逃げ遅れた人達だった。中でも悲惨だったのは、小学校の遠足で浜辺で遊んでいた児童13人が波に飲まれて犠牲になったことだった。教諭も、目の前の惨劇にどうすることもできず、児童達は沖に流されていった。

気象庁は、昭和35年5月に発生した「チリ地震大津波災害」の教訓を活かして、地震が発生すると同時に津波の影響を判断し警報を発令する仕組みを構築していたが、今回の日本海中部地震では機能が充分に活かされなかった。このため、同年6月、総理府、警察庁、消防庁、気象庁、国土庁、海上保安庁、郵政省の7省庁により「津波警報関係省庁連絡会議」が設置され、津波警戒の徹底が図られた。

日本海中部地震における犠牲者は死者104人、重軽傷者163人にのぼった。また建物の全半壊3049棟、その他液状化現象による被害などでインフラの被害額は518億円にのぼった。


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