説教強盗事件


−経緯−

昭和4年2月24日、近藤松吉こと妻木松吉(当時29歳)は東京府北豊島郡西巣鴨町(現、東京都豊島区西巣鴨)にある長屋の自宅で新聞を読んでいたところを、保険の外交になりすました捜査員に逮捕された。昭和に入ってから東京市民を恐怖に陥れた゛説教強盗魔゛の逮捕の瞬間だった。

妻木は昭和2年3月19日、豊島郡雑司が谷(現、豊島区雑司が谷)にある一軒家に押し入った。その犯行の手口は普通の強盗とはまったく異質のものだった。まず、深夜に家に侵入すると電話線を切断、電気のブレーカーを落として懐中電灯を持って家人の枕元に立つ。

すると妻木は「もしもし、目をさましてください。お金をいただきに参りました。騒いではいけませんよ。怪我をしますから」と言ってナイフをちらつかせた。低い声で丁寧な言葉使い。かえってそのことが被害者に恐怖を与えた。そこで家人は金を妻木に渡すのだが、もう10円、もう20円と彼はひつこく要求し、金を受け取るたびに「説教」を始めるのだ。

「お宅は戸締りはいいほうですが、庭が暗くていけません。庭がこうだと泥棒に入られやすい。私が言うんだから間違いありません」とか「是非、犬を飼いなさい」。あるいは「台所のカギは、こうやってはずしました。カギはもっとこうしなさい・・・」など明け方まで説教が続いた。

新聞配達や通勤人など人通りが出始めるころになると「そろそろ、失礼します。私が去ったら、すぐ警察にお届けになるべきでしょう。電話線は切ってありますから、ここからは3丁目の交番が近いはずです。では、さようなら」と言って朝の人込みにまぎれて逃走した。

この日を境に深夜の東京府は゛説教強盗魔゛の犯行と思われる強盗事件が相次いだ。新聞では一面トップに゛神出鬼没の説教強盗魔゛の記事が連日踊った。警視庁は、市民の信頼を取り戻すべく、捜査本部を設けて懸命な捜査を続けたが犯人逮捕には至らなかった。

昭和4年に入ると、説教強盗魔を真似た強盗事件が発生。東京府の防犯維持に不安を抱いた東京朝日新聞は「金1000円の懸賞。説教強盗魔の捕縛者に贈呈」という内容の広告を掲載し読者に訴えた。だが、説教強盗魔逮捕に至る手掛かりは杳として掴めなかった。

−逮捕のきっかけ−
昭和4年2月1日、警視庁は゛説教強盗魔゛の捜査本部を一新し大掛かりな特捜班を設けた。そこで、特捜班は昭和2年3月の雑司が谷事件以前に遡って類似事件を洗いなおした。すると、大正15年12月16日に東京府上板橋(現、東京都板橋区)の米屋でおきた強盗事件が浮上した。特捜班にとって幸運だったのは、この時、強盗が店のガラスに指紋を残していたことだった。さらに、この米屋は昭和2年10月26日に゛説教強盗魔゛に入られていた。特捜班は、この2つの強盗事件は同一犯とみて指紋の照合を行った。

やがて、この指紋と一致する男が浮かび上がった。山梨県生まれの窃盗前科一犯、近藤こと妻木であった。妻木は、強盗で懲役8ヶ月の刑を受けて服役し、大正10年2月に甲府刑務所を出所した。この頃から、母親の再婚先の近藤姓を名乗っていた。

特捜班は、妻木の行方を洗いだすと大正14年3月に警視庁高田署に挙動不審で検束されていた事実を掴んだ。この時の取調書を基に、妻木の身元引受人で左官業の棟梁から妻木の居場所を掴んだ。そこで、特捜班は前述の通り保険の外交員を装って妻木を逮捕したのだった。

妻木は警察の取り調べで、「不景気なうえ、自分が病気で仕事ができず、家計が苦しく借金に追われて犯罪に手を染めてしまった」と供述。何も知らなかった妻(当時22歳)は、長女(当時4歳)と長男(当時2歳)を抱えて「自分達には優しい夫でした」と言って泣き崩れた。

警察の取り調べで、妻木の犯行は強盗58件、窃盗29件、強盗傷害2件に及んだ。妻木は、婦女暴行も数多く自供したが、訴えが無かったため立件はできなかった。昭和5年12月18日、東京地裁は妻木に無期懲役を言い渡して刑が確定した。秋田刑務所に服役した妻木は模範囚として昭和23年に仮釈放された。


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