新宿西口・バス放火事件


−経緯−
昭和55年8月19日午後9時頃、帰宅帰りのサラリーマンやOL、野球のナイターゲーム観戦帰りの親子連れら30人が新宿駅・西口のバスターミナルで、中野行きの京王帝都路線バスに乗車中の時だった。
住所不定の建設作業員、丸山博文(当時38歳)が、ガソリンが入ったバケツと火のついた新聞紙をバスの後方座席に向かって投げ込んだ。火は瞬時にして車内に燃え広がり、後部座席に居た3人は逃げる間もなく着座姿勢のまま焼死。その他3人の計6人が焼死、14人が重軽傷を負った。

丸山は放火後逃げたが、現場にいた通行人らが取り押さえ、駆け付けた警官に逮捕された。
犯行の動機は、丸山が駅の階段で酒を飲んでいた時、通行人のサラリーマンやデパートの係員から「邪魔だ」と言われた事に腹を立て、バスに乗車していたサラリーマンに向かって放火したことが判明した。丸山は後日、サラリーマン達には帰る場所もあり幸福な暮らしをしているのに対して、俺は何なんだというジレンマに腹を立てたと供述している(恐らく、好きでこのような生活をしている訳じゃないという気持ちだったのか)。但し、「邪魔だ」と声を掛けたサラリーマンと車内にいたサラリーマンとは別人であって、あまりにも短絡であり「通り魔的な犯行」といえる。

−生い立ち−
丸山は昭和17年、北九州市で5人兄弟の末っ子として生まれた。定職を持たないアルコール依存症の父親。その父親と母親が離婚、生計を必至で支えてきた母親の事故死と生い立ちは決して幸福では無かった。中学を卒業後、とび職や農業従事など転々とした後上京、現場作業員として新宿・西口を寝暮としてきた。丸山は一度結婚しているが、その後離婚。施設に預けた子供に毎月仕送りしている几帳面な性格も見えてくる。

−第二の悲劇と奇跡的な偶然−

この事件で、80%の大火傷を負ったOLで編集会社勤務の杉原美津子さんが「生きて見たいもう一度」という手記を出版した。杉原さんは、会社の異性関係で悩んでおり、放火された際に一瞬死のうと思い逃げ遅れたのが原因で大火傷を負っている。

更に、バスが放火された時に偶然通りかかったのが杉原さんの兄だった。兄の職業は報道カメラマンで、本能的に燃え広がるバスを撮影し翌日の新聞にスクープとして大々的に報道された。彼が撮影している時に、実の妹がバスの中で生死をさ迷っているとも知らないで・・・
彼は、そのショックで報道カメラマンを辞職している。

−その後−
その後の裁判で丸山は無期懲役となり千葉刑務所で服役していたが、平成9年10月7日、眼鏡を忘れたと刑務所の作業場に戻り、配管に紐を結び首吊り自殺をした。享年55歳であった。


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