日債銀社長怪死事件


−経緯−
平成12年9月20日午前8時30分頃、日本債権信用銀行(以下、日債銀)・本間忠世社長(当時60歳)が、出張先の大阪市内にある阪急インターナショナルホテルの一室で首を吊っているのを発見され直ちに病院に搬送されたが同9時11分、病院で死亡が確認された。

大阪府警曽根崎署は、本間社長が首を吊った部屋から5通の遺書が見つかったことから自殺と断定。この遺書は3通が会社関係宛、2通が家族宛だった。このため、警察は司法解剖することなく本間社長の遺体は荼毘にふされた。だが、その後次々と他殺説を裏付ける状況が明らかにされると、「本間社長は殺害されたのではないか」という噂が絶え間なく続いた。

まず、首吊り自殺したとされる19日夜に、偶然隣の部屋に宿泊していた女性歌手でタレントの森公子さんが、「隣の部屋が騒がしい」とホテル側にクレームをつけていた事が判明。更に、本間社長が首吊りしたとされるカーテンレールになんら変形が無かった事や紐の入手先が判明しなかった事など不自然な点が多々あった。

−バブル崩壊後の黒い霧−
日債銀は平成9年に、バブル崩壊で生じた約3000億円にのぼる不良債権を処理しきれなくなった系列ノンバンク3社の自己破産を申請。このため同行に対する経営不安は一気に高まった。この頃、次々と金融機関が破綻し日本の金融界は世界的な規模で信用を凋落させていた。そのため、もうこれ以上、銀行の倒産は避けねばならないと判断した大蔵省(同時)と日銀は、日債銀の救済のため大手銀行34社に増資を要請した。

銀行側は強い反発を抱きながらも゛お上゛の意向には逆らえず、総額2000億円の資金を日債銀に供出した。この時、日債銀への増資をお願いして回ったのが当時の日銀理事だった本間氏だった。それから3年後に、こともあろうに本間氏が日債銀の社長に就任したのだから、金融業界からは納得がいかないとの声が多かった。

いずれにしても、日債銀は大蔵省、日銀主導の下で一時的に国有化されたあと、ソフトバンク、オリックス、東京海上3社の企業連合に譲渡され平成12年9月4日に本間氏は同行の社長に就任し新生゛日債銀゛として再スタートを切った。それから、僅か半月後に本間社長は自殺した。

金融再生委員会は、日債銀がバブル期に貸し付けた債権のうち、約1000億円が゛反社会的勢力゛に貸し付けていたと公表した。このため、闇社会とのトラブルに巻き込まれ殺害されたのではないかとの噂が広まった。

その後、平成13年1月に日債銀は、「あおぞら銀行」としてデビューした。


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