藤田小女姫殺害事件


−経緯−
平成6年2月23日午後5時頃、ハワイ・ホノルルの高級マンション32階の一室から出火。焼け跡から日本で著名な占い師・藤田小女姫さん(本名・藤田東亜子、当時56歳)の焼死体が発見された。ハワイ警察は、出火に不審な点があるとして小女姫さんの司法解剖を行った。その結果、小女姫さんの頭部に銃弾の跡が見つかった。このため警察はピストルで殺害した後、放火したとみて殺人および放火の疑いで捜査を開始した。

一方、小女姫さんの息子でハワイ大学に通う吾郎さん(当時20歳)がワイキキにあるホテルの駐車場で炎上した乗用車の中から遺体で発見された。吾郎さんの遺体も同じく射殺された後に乗用車を放火されていたことが判明した。警察は、母親の小女姫さん殺害事件と関連しているものとみて大掛かりな捜査を続けた結果、吾郎さんのスキューバダイビング仲間で事件後行方不明になっている福迫雷太(当時28歳)が容疑者であると断定。行方を追った。

警察は、ハワイにある福迫のアパートを家宅捜査した。すると、犯行に使われたのと同じ弾丸が発見された。さらにソファから検出された血痕のDNAが吾郎さんのそれと一致。また、福迫が小女姫さんの貴金属類を換金していたことが判明。これによって、小女姫さん親子の殺害は福迫が犯人であると断定し国際警察機構を通じて警察庁に身柄確保の要請を行った。

一方、福迫は事件の2日後の2月25日に日本に帰国していた。次第に自分に容疑が固まりつつあると知った福迫は3月4日に神奈川県警に出頭。自ら事件に関与していないことを主張した。神奈川県警は事情を聴取した後、福迫の身柄をハワイ・ホノルルに押送した。

−深まる疑惑−
福迫は、ハワイの法廷で「自分は殺していない。だが、誰かに脅されて、遺体の搬送を手伝っただけ」と供述し、殺害に関しては終始否定した。だが、判事は「計画性はないが、やはり福迫が2人を殺害した実行犯である」と断定し終身刑を言い渡した。福迫と両親は無実であるとして再審を訴えている。

−戦後最大の占い師−
小女姫さんは、戦後最大の著名な占い師だった。11歳で「天才占い少女」としてデビュー。その後、政財界で多数のファンを持ち安保闘争で揺れ動いた岸信介元首相や水野成夫といった大物を顧客として財を成した。

産業経済新聞を゛サンケイ新聞゛としたり゛キッコーマン゛という屋号を考案したのも彼女であったと言われている。実際彼女に占ってもらってから成功を収めた人達の声が波及し、彼女に一度占ってもらおうと政財界の大物が押しかけたという。

昭和50年頃、ハワイの自宅マンションと日本を行ったり来たりしながら一人息子の成長を楽しみに暮らす毎日だった。一方、福迫は吾郎の友人として頻繁に小女姫宅に出入りしていたが、しばしば借金を依頼していた。事件直前も、小女姫は銀行に2万ドルの融資を電話で申し込んでいたという(これが、福迫と関連していたのかは不明であるが)。

この事件は、謀略説がいまだに根強くある。と言うのは、小女姫さんが生前記録していたという政財界のエピソードが書かれた゛ノート゛がいまだに発見されないことにある。このため、この゛ノート゛が世にでると窮地に陥る大物が裏で糸を操っているのではないか?福迫は、それ故に実行犯を庇っているのではないか?と憶測が囁かれている。


ホーム

inserted by FC2 system