和D−14号・宝石商殺人事件


−経緯−
昭和62年4月3日朝、東京都港区南青山のゴミ収集場で大量の偽一万円札が発見された。その数日後には、荒川の河川敷でも大量の偽一万円札が発見された。警視庁は、この偽札を「和D−14号」と名付けて本格的な捜査を開始した。捜査本部は、この偽一万円札は出来が悪く、印刷ボケや手触りが明らかに本物と異なり、実際に使えないと判断した犯人が破棄したものと推定した。

この事件は、テレビや新聞などのマスコミで大々的に報道された。その結果、4月8日になって東京都板橋区の印刷業・K(当時53歳)が逃げ切れないと悟り赤坂署に自首してきた。Kの取り調べから翌日の9日、印刷関係者5人と出版会社社長のM(当時42歳)が逮捕された。

捜査本部は、KやMらの取り調べを本格的に開始したところ、Mは「童話作家の武井遵(当時49歳)から、知人の選挙応援するのに見せ金が必要だ」と言われ1000万円の報酬で3億6000万円の偽札作りを依頼されたことが判明した。そこで、捜査本部は武井の行方を追い、同月13日ホテルに潜伏していた武井を通貨偽造の容疑で逮捕した。

武井は、北原綴のペンネームを持つ童話作家で、その著書は全国学校図書館協議会推薦図書になっていた。彼の両親は父親が韓国人で母親が日本人。父親は親日派の詩人・金素雲で北原白秋の門下生であった。だが、武井が2歳の時に両親が離婚し、以降は母親に育てられた。

武井は成長過程で差別を受けたことや父親に対する憎しみから非行にはしり、高校時代に傷害事件を起こして退学。その後、暴力団員、バンドマン、宝石ブローカーなど職を転々とした。その間、わいせつ罪、銃刀法違反、重過失傷害、恐喝、詐欺など8回の逮捕歴があった。
昭和51年2月にはベルギー人の宝石商から宝石を奪うため水中銃で撃ち、殺人未遂で懲役8年の刑に服していた。この時も、宝石を持参させるための見せ金として偽札を使っていた。

−殺人事件に発展−
警察の取調べで武井は通貨偽造を素直に認めた。だが、警察は別の事件に注目していた。実は本事件の3ヶ月前の同年1月中旬、上野の宝石商・小笠原隆男さん(当時39歳)が行方不明になっていた。宝石を奪うための゛偽の見せ金゛という手口がベルギー人宝石商事件と同様だったため、警察は武井を厳しく追及した。

4月28日、武井はついに小笠原さんの殺害を自供した。それによると゛同年1月16日、武井が経営していた会社の元社員A(当時51歳)、同B(当時45歳)、知人のC(当時41歳)、武井の愛人D(当時25歳)と武井の5人は共謀して、小笠原さんに宝石を買いたいと近づき、武井の事務所に宝石を持参するよう呼び出した。だが、Kが印刷した偽札は不出来だったため、宝石を騙し取るのは不可能と判断した。

そこで、小笠原さんを殺害して宝石を奪うことに計画を変更。同日夕方、武井は小笠原さんに「群馬県榛名町の資産家を紹介する」と嘘をついて練馬から関越道に入った。鶴ヶ島インターチェンジにさしかかった頃、武井は隠し持っていた拳銃で小笠原さんを射殺した。その後、榛名町の山林に穴を掘って小笠原さんの遺体を埋めた゛ということだった。

平成元年3月27日東京地裁は武井に無期懲役を言い渡した。これを不服として武井は控訴したが、同年9月25日に控訴を取り下げたため無期懲役が確定した。


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