大阪・無差別発砲殺害事件


−経緯−
昭和48年9月19日午後6時30分頃、大阪市城東区のアパートに住むトラック運転手・沢井孝志(仮名・当時26歳)は伯父の安居剛士さん(仮名・当時36歳)と知人の3人で近くの焼肉店で飲食した。やがて酒がまわってきた沢井と安居さんは、些細なことで口論となり喧嘩になったが、知人が仲裁し一旦は収まった。

午後10時過ぎ、自分のアパートに戻った沢井の所に安居さんが訪ねてきた。ドアを開けるなり安居さんは、猛烈な剣幕で沢井に罵詈雑言を浴びせ一方的に帰っていった。これに激昂した沢井は、部屋に保管していた散弾銃と実弾40発を持って近所の安居さんのアパートに出向いたが不在だった。

沢井は、アルコールが入ると誰彼となく喧嘩をふっかけて暴力を振るう異常な性格だった。安居さんが、不在だったことが返ってイライラと興奮が募った。もう、誰でもよかった。そこで、以前勤めていたM電気店に行き、居合わせた社長(当時38歳)と店員(当時21歳)に向けて散弾銃を発砲し射殺した。

日付が変わって20日午前0時過ぎ、沢井はM電気店から200メートル離れた天ニ橋南詰に停車していたタクシーを襲撃した。運転手(当時24歳)と助手席で話し込んでいた飲食店のレジ係りの女性(当時21歳)に向けて散弾銃を発砲した。2人は騒ぎを聞きつけてきた住民の通報で病院に搬送されたが、レジ係りの女性は同日午前8時に死亡、タクシー運転手は重傷を負った。

逃走した沢井は近くにある知人のアパートに逃げ込んだが、通報で駆けつけた警官30人が周辺を包囲した。この頃になると銃声や叫び声、パトカーのサイレンなどで住民が起きだし多数の野次馬がアパート周辺に集まりだした。その中へ沢井は散弾銃を発砲し警察官1名が重傷を負った。その隙に、アパートから抜け出し、騒ぎを見ていた主婦(当時35歳)を人質にして逃走。この間、沢井は散弾銃を撃ちまくり、流れ弾が野次馬の1人にあたり全治5日間の傷を負わせた。

−街は恐怖のどん底に−
事件現場は、城東区鴫野東、東中浜、永田など商店、町工場、団地などが密集する地域。深夜この地域に恐怖が走った。午前1時10分頃、沢井は現在の勤め先の社長宅に人質の主婦を連れ立って現れた。社長一家4人に対して「俺は5人も殺した。もう終りや。死刑になるんやったら何でもやったる」と叫び散弾銃を天井に向けて発砲した。

人質の主婦は、興奮している沢井の隙を見て脱出に成功、無事警察官に保護された。午前3時40分頃、社長宅の中庭から逃走しようとした沢井は警察の呼びかけに観念したのか散弾銃を高く上げた。この姿勢を攻撃と見た機動隊員が20メートルの距離から銃を発射。沢井が崩れるように座り込んだところを、数名の警察官が取り押さえ逮捕した。沢井の傷は2週間程度の軽傷だった。

沢井は、僅か3時間で3人を射殺し2人に重傷を負わせた。逮捕後の取調べで沢井は、「M社の社長、店員や現在の社長に恨みがあったわけではない。タクシー運手者やレジ係りの女性は偶然そこにいただけだ。殺したい相手が見つからなかったので、うさ晴らし、八つ当たりで撃ちまくっただけ」と供述し、通りがかりの無差別犯行であったことを認めた。

公判では、昭和59年10月無期懲役が言い渡されて確定した。判決は意外であったが、アルコール依存症が認められ減刑されたと思われる。


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