KDD(国際電電)汚職事件


−経緯−
昭和54年10月2日、成田空港でKDD(国際電電)の社員2人が海外から有名プランドの香水やネックレス、ブローチなどを不法に持ち込もうとして東京税関成田支所から無申告、過少申告で摘発された。これが、後に世間が驚愕する汚職事件の発端であった。

東京税関及び警視庁は、2人の社員を徹底的に取り調べた結果、この不法持込(密輸)は個人行為ではなく会社の命令(社長室)であることが発覚した。更に、社長室は社員を海外に派遣させ、高級プランドを買いあさり日本へ不法に持ち帰ることをノルマにしていたことが判った。警視庁は、半官半民の大企業である会社が、何故このような密輸を繰り返していたのか、捜査本部を設置して事件の全容解明に乗り出した。

その結果、捜査本部は翌年の昭和55年2月24日に同社社長室長の佐藤陽一を業務上横領と関税法違反の容疑で(後日、贈賄容疑で再逮捕)、3月18日に郵政省(当時)電気通信監理官の松井清武と同省郵務局国際業務課長の日高英実の2人を収賄容疑で逮捕した。さらに、4月5日KDD社長の板野学を業務上横領の容疑で逮捕した。この間、捜査本部の事情聴取を受けていた社長室の参与と社長秘書が相次いで自殺した。

−驚愕の接待交際費−
捜査本部が、KDD社への家宅捜査及び容疑者の取り調べを進めていく中で、驚くべき事実が次々と明るみになった。まず、同社の交際接待費は3年間で58億円という巨額な支出をしていた。その内から判明しただけでも1億2000万円が政治家(特に郵政族)190人に対してパーティ券の購入や盆暮れの贈答、政治献金としてばら撒かれた。また郵政省の幹部らに対しても接待漬けにしたり、プライベートの海外旅行費まで面倒をみていたことが分かった。

だが、この事件はこれだけではなかった。取り調べが進むにつれ、呆れると同時に怒りが爆発するような事実が明るみになる。それは、板野社長が個人的な買い物まで全て会社経費から落としていたというものだった。彼の妻に対する高級プランドの下着やネグリジェ、靴、貴金属類など凡そ個人使用の物品まで経費として清算していた。また、妻の移動は全てハイヤーを利用させ、勿論この費用も会社持ちだった。

−KDDとは−
KDDは、国際電信電話会社法(KDD法)に基づいて、日本で唯一国際回線の保有を認可されていた電話会社であった。昭和50年代に入ると自動車、家電を中心に輸出が最高潮に達し、しばしば経済摩擦の問題が起きていた頃である。当然ながら海外への電話利用が頻繁になってきたこの時期にKDDは国内で独占状態にあった。

一方、国際電話の料金が外国と比較して大きな格差となっており企業を中心に不満の声が高まっていた。米国から日本に電話する場合の100に対して日本から米国へ電話する料金は実に10倍の1000という格差があった。当然の事として同社の収益は抜群で、【この黒字を継続させるためにも政治家や郵政省の高官らに自由競争阻止(KDD法の存続)を訴えるため金をばら撒いた】、という図式を捜査本部が明らかにしたのだ。

−逃げ切った政治家たち−
昭和55年5月、警視庁の担当官が衆議院逓信委員会でKDDから政界へ流れた1億2000万円の明細概要を発表したが、受取った側の政治家190人の名前は一切公表しなかった。このため、本事件はKDDと郵政省の極一部の者が起訴されるに止まった。

昭和60年4月26日東京地裁は板野元社長に「KDDは極めて公共性が高い会社で、役職員は公務員に準じた廉潔性が求められる。にもかかわらず、妻にハイヤーを自由に使わせるなど公私混同も甚だしい」として懲役1年6ヶ月、執行猶予3年を言い渡した。さらに、佐藤元社長室長は懲役3年、執行猶予4年、松井と日高には懲役1年、執行猶予3年と収賄額分の追徴金を言い渡した。板野社長以外は控訴せず確定。

二審判決では、「婦人肌着や靴、背広などが社会通念上、業務の贈り物に用いられないとは言い切れない」として懲役10ヶ月に減刑。だが、板野元社長はこれを不服として完全無罪を求めて上告。平成6年10月最高裁は約640万円相当の美術品着服について有罪とした二審判決を支持して上告を棄却。これにより板野元社長に懲役10ヶ月、執行猶予2年が確定した。

板野元社長は、郵政省のエリートキャリアだった。その後、KDD社に天下りして同社の最高権力者となった。それにタカル政治家や官僚達。ともに国際電話料金の値下げ阻止を直接・間接的に加担。彼たちには国民の生活を守るという眼目はまったくなく、私利私欲の連中であることを見事に演じた。


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