高知・6人射殺事件


−経緯−
昭和50年11月6日高知県安芸市は午後から降り始めた雨が夜になって土砂降りとなった。午後8時40分頃、同市伊尾木の爪楊枝製造業の岡村昭男(仮名、当時31歳)は8ヶ月前に同市の銃砲店で購入した猟銃を手にして家をでた。

道路にでると岡村は意味不明な言葉を叫びながら向いの安芸市中学校校長・Aさん(当時46歳)宅に土足で押入り、Aさんに向かって猟銃を発砲した。さらに岡村は暗黒の土砂降りの中を走って会社員のBさん(当時28歳)宅に押し入りBさんの妻のC子さん(当時27歳)、長女のDちゃん(当時4歳)に向かって発砲。その後も次々と近所の家に押入り猟銃を発砲した。

その結果、C子さんと長女のDちゃん、営林職員のEさん(当時51歳)、無職のF子さん(当時58歳)の4人が即死。Aさんと主婦のG子さん(当時52歳)の2人が収容先の病院で死亡。合計6人が死亡し2人が重傷を負った。

この騒ぎで駆けつけた近所の男達が岡村を取り押さえて猟銃と実弾100発を取り上げたが、岡村はスキを見て逃走した。高知県警は安芸署に捜査本部を設置して、機動隊員100名と地元消防団で大規模な山狩りを実施した。

翌日の7日午前11時過ぎ、犯行現場から約2キロメートル離れた公園の裏山に潜んでいた岡村を捜索隊が発見、周囲を取り囲みながら岡村を逮捕した。岡村は警察の取調べで「最近、気分がモヤモヤして人を殺したかった。死んだ人達には恨みは無い。誰でもよかった」と供述した。

−動機無き殺人−
岡村は幼くして母親と死別、その後叔母に育てられた。小中学校の成績は常に上位で、農業高校を卒業後、国家公務員試験に合格し建設省(当時)高知工事事務所、伊予三島事務所などに勤めていた。

内向的な岡村は人付き合いが上手ではなかった。また、3年前から精神状態が不安定なことから精神病院に通院。この時にうつ病と診断され建設省を退職した。その後、爪楊枝製造業として働きながら通院していたが、事件の3ヶ月前に入院し犯行時は退院したばかりだった。このため、岡村に責任能力を問えるかが焦点となった。

検察側は「犯行当時、心神喪失と認められるほどの精神状態ではなく、限定責任能力のある心神衰弱にあたる」として無期懲役を求刑した。これに対して高知地裁は3人の専門医に岡村の精神状態を鑑定依頼した。その結果、昭和56年9月「被告は精神分裂病、妄想病にかかり犯行当時は心神喪失状態だった」として無罪を言い渡した。

検察側はこれを不服として高裁に控訴した。昭和59年12月4日高裁は「被告は精神分裂病だったが心神喪失状態ではなく心神衰弱状態とみるのが相当。限定的ではあるが刑事責任は問える」として一審の無罪を破棄して岡村に無期懲役を言い渡した。岡村は上告せず無期懲役が確定した。

暗闇の中を猟銃を持って次々に近所の家に押入って射殺する本事件は、戦前におきた稀有の大量殺人事件で゛八つ墓村事件゛のモデルになった「津山30人殺し事件」を連想させる事件だった。


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