ラストボロフ事件


−経緯−
昭和29年1月27日、在日ソ連代表部のザペリヨフ部員が東京警視庁に出頭して、同代表部のユーリ・ラストボロフ二等書記官が24日以来失踪したので行方を調査して欲しいと申し入れた。ザペリヨフ部員の証言によると24日の昼頃、ラストボロフはソ連代表部がある港区・狸穴から歩いて飯倉一丁目で二人の代表部員と出会った。そこでラストボロフは二人に昼食を一緒にしないかと誘ったが二人は既に済ませたため断った。そこへ、米軍専用の大型バスが走ってくるのをラストボロフは手を上げて停めさせバスに乗り込んだ後、行方が判らないということだった。

警視庁公安3課が捜査すると、ラストボロフは直属の上司がソ連で粛清され次は自分の番ではないかと恐れていた。確かにラストボロフはソ連に戻される寸前であった。このため粛清を恐れて逃亡したのだという推定がたった。ところがソ連代表部は米軍のバスに乗ったのが最後の目撃でもあり「在日米軍の情報機関に拉致された」と発表。事件は国際問題に発展した。

8月14日、米国国務省は米国・ワシントンで記者会見を開く。日本が驚愕したのは、その記者会見でラストボロフ自身が出席し「米国への亡命」の理由と経緯を報告したのだった。会見で彼は粛清を恐れて米国に亡命したこと、日本の米軍諜報関係者が亡命の手筈をしたことなどを証言した。更に、自分(ラストボロフ)はソ連内務省の中佐で、外交官になりすまして日本でスパイ活動をしていたことを暴露した。その記者会見で「日本でのソ連情報機関は極めて活発であり、近く日本政府上層部で事件が起こるであろう」と声明した。

−その後−
ラストボロフの言う通り、まもなく日本は大揺れする。公安3課は外務省事務次官・高毛礼茂を8月19日公務員法違反で逮捕する。高毛はラストボロフが来日した昭和24年から失踪するまでの間、日米の機密事項などの提供で一回3万円から5万円の謝礼を受け取っていた。さらに外務省国際協力局の庄司宏、欧米局の日暮信則等も次々に逮捕された。日暮は取調べ中に、東京地検の4階窓から飛び降り自殺をした。
この時、日本国民は米ソ冷戦の諜報合戦が日本で行われている事実に初めて直面し驚愕する。

今日でも、ラストボロフは実は米国に潜入させたソ連のスパイではないか、いわゆる二重スパイ説やワシントンでの記者会見のラストボロフはニセ者で実は事前に消されていたなど様々な憶測が飛び交った。しかし、その殆どが現在も謎に包まれたままになっている。

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ラストボロフ


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