村井刺殺・オウム事件


−経緯−
平成7年4月23日午後8時36分頃、東京都港区青山のオウム真理教東京総本部ビル前でオウム最高幹部の村井秀夫(当時36歳)が大勢の報道陣の前で徐裕行(当時35歳)に牛刀で一突きされ翌日出血多量で死亡した。徐は、その場で逮捕されたが、まったく悪びれた様子もなく「プロの犯行」を匂わせた。

オウム東京総本部は、先の松本サリン事件地下鉄サリン事件など日本を震撼させる事件の首謀者とみられ連日大勢の報道関係者や警察が24時間体制で監視していた。

日頃、教団幹部はビルの地下駐車場から東京総本部へ出入りしていた。ところがこの日は違っていた。村井が東京総本部に到着した時、何故か地下のドアが施錠されていたため、村井は報道陣が待機している1階へ向かった。そこへ、‘タイミング良く‘徐が報道陣をかき分けて村井を刺殺したのだった。

逮捕直後、徐は「世間を騒がせているオウムを懲らしめようと思った。幹部であれば誰でもよかった」などと供述していたが、動機としてはあまりにも弱く、犯行当初から背後に潜む集団が噂され徐は単なる実行犯に過ぎないという見方が強かった。

−徐の生い立ち−
徐は東京都足立区で在日朝鮮人の二世として出生。高校を中退し職を転々とした後、イベント会社を設立。当初、経営も順調だったがバブル経済がはじけると同時に会社は2300万円の負債を抱えて倒産した。

その後、茨城県つくば市で友人宅に身を寄せ、その兄が経営する古紙回収業の手伝いなどをしていたが平成6年3月に再び東京都足立区の実家に戻った。後に小学校時代の幼なじみであるAと、その友人Bが住む世田谷区祖師谷の賃貸の一軒家で共同生活をするようになった。

この家の所有者はCさんという女性で、その息子の友人が借主のBだった。徐をはじめA、B、Cは共に北朝鮮籍である。徐はKの仕事関係から多数の北朝鮮籍の人脈と出会うことになった。更に山口組系羽根組の幹部と知り合いになり、次第にヤクザとして行きていくことを覚悟した。

尚、徐が同居していた家の所有者Cさんは、品川の五反田で飲食店を経営しているが、その姉のDさんは北朝鮮の大物工作員・辛光洙(シン・ガンス)と数年間、内縁関係にあった。辛光洙は日本人拉致の主導的な役割をした工作員で、最近では横田めぐみさん拉致も関与していたとされている。

この辛光洙は、やがて韓国当局に逮捕されるが、金大中大統領(当時)の太陽政策の一貫として韓国の政治犯を解放し北朝鮮に戻した。北朝鮮では、西側の圧力に屈せず主体思想を貫いたとして「国民的英雄扱い」の厚遇を受けている。

このような背景から、オウム真理教と北朝鮮との間で行われた覚せい剤取引を暴露されないうちに、口の軽い村井を刺殺したのではないかとの噂が絶えなかった。



−闇から闇へ−
徐はやがて犯行経緯について「羽根組幹部のKから教団幹部を殺すように言われた」と供述した。だが、その一方、「教団幹部なら誰でもよかった」と相変わらず動機の本質に関しては語らなかった。

警察や検察側は、その供述を否定した。というのは、犯行当日のテレビ報道で、徐らしき男が東京総本山ビル周辺でうろついている姿が度々映像に映っている。ところが、教団幹部である上祐や青山弁護士が出入りしても徐は一切動かなかった。このため、村井を完全にターゲットにしていたことが明確であったからである。だが、徐からは、これ以上の事件の全容を解明するための供述は得られなかった。

警察はKを共同共謀正犯の疑いで逮捕したが、Kは終始事件とのかかわりを否定。検察側は決定的な証拠を掴むことができず、一審、二審ともKに無罪が言い渡されて確定した。

徐は平成7年11月13日、東京地裁で懲役12年を言い渡された。徐は控訴しなかったため刑が確定した。だが、本件は徐だけの単独で計画された犯行とは言いがたく、今でも北朝鮮関係や暴力団など巨大な闇社会が引き起こした事件だという噂が絶えない。

注)オウム真理教事件の主記事は「地下鉄サリン・オウム事件」を参照してください。


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