玉ノ井バラバラ殺人事件


−経緯−
昭和7年3月7日午前9時30分頃、東京市南葛飾郡寺島町玉ノ井(現東京都墨田区墨田)の通称‘お歯黒ドブ‘と呼ばれる売春街の下水溝にハトロン紙に包まれた男の胸部が浮いているのを近所の人が発見した。

通報を受けた寺島警察署玉ノ井巡査派出所の警察官が現場に駆けつけると更に別のハトロン紙が浮いているのを発見。包を開けるとノコギリで切った跡がある男の生首が出てきた。

お歯黒ドブは東武伊勢崎線の玉ノ井駅(現東向島駅)から北に向かって200メートル程先にある売春街で、街全体が迷路で周りのいたるところにドブが網の目のようにあった。低地のため雨が降ると道かドブかわからないほどで、通行人もよくドブに落ちたという。また異臭もはなはだしく場末の売春街ではあったが安く遊べるとあって夜は買春客でたいそう賑わった。

このような街であったから売春婦が出産後、嬰児をドブに遺棄することが珍しくなかった。このため通報を受けた警察官は「また嬰児遺棄か」と思いながら現場に駆けつけた。ところが、包を開けてみると30歳前後の男の胴体と生首であったため、警察は殺人と死体損壊および遺棄罪で捜査本部を設置。大掛かりな捜査を開始した。

たが、被害者の身元は杳として掴めず事件発生から1ヶ月半後に捜査本部は解散した。同年9月、寺島警察署の浦川署長は警視庁捜査1課に転任した。浦川は迷宮入りした本事件に対して執念を燃やしつづけていた。浦川は、被害者は水上生活者(東京湾や河川で船で生活しながら運搬作業する労務者)ではないかと睨んで水上署に行方不明者がいないか協力を求めた。

一方、この頃にようやく出来上がった被害者のモンタージュ写真が各警察署や水上署に配布された。このモンタージュ写真を見た水上署の石賀道雄巡査は、3年前に幼い女の子を連れていた風浪者にそっくりだったため驚いた。巡査は職務質問した際、不憫に思い食べ物を与えたことが強く印象に残っていたのだった。その風浪者は名前を「千葉龍太郎」と言っていた。

この情報を基に各警察署の捜査官は龍太郎の捜索を開始した。やがて、本富士署から「同性同名の男が本郷区湯島(現文京区湯島)の長谷川市太郎宅に同居している」との情報があった。

水上署は、長谷川市太郎(当時33歳)を取り調べた結果、犯行を自供した。

−動機−
市太郎は、前年の昭和6年4月頃に幼い女の子を連れ歩いていた千葉龍太郎(当時27歳)と出会った。千葉は秋田県仙北郡の出身で、「今は落ちぶれているが田舎に帰れば田畑や山林を持っている。いずれは売り払って商売をするつもりだ」と市太郎に話した。

当時、市太郎の家計は弟の長太郎(当時23歳)が印刷工として働いていた給金のみで生計をたてていた。このため暮らしは困窮しており、龍太郎の話を鵜呑みにした市太郎は玉の輿に乗れると思い、妹のとみ(当時30歳)と結婚させ龍太郎に仕事の斡旋までした。

同年11月には、龍太郎が田畑を売るため帰省するというので、服を新丁してお土産まで持たせた。間もなく龍太郎が戻ってくると「12月に伯父が土地譲渡の書類をもってくる」と言った。さらに大金が入るので大きな家に移ろうと言い出したため本郷区駒込富士前に一軒家を借りた。

ところが、翌年の昭和7年になっても伯父は上京してこない。しかも、龍太郎は妹に暴力を働き夫婦仲は最悪であった。市太郎は、龍太郎に対して不審を抱いた。そこで、龍太郎の故郷の村役場に土地台帳の謄本を請求したところ、役場からそのようなものはないと返事があった。市太郎は、騙されたことに気付いた。

同年2月11日午後9時頃、龍太郎は妹とまた口論を始めた。そこで市太郎は弟の長太郎に龍太郎の殺害をもちかけ、2人でスパナやバットで龍太郎を殴打して殺害した。殺害後、2人は遺棄するため龍太郎の体を8つに分けてハトロン紙に包んで方々に遺棄した。その中の3つの包をお歯黒ドブの下水溝に投げ入れたのだった。

とみは死体損壊と遺棄罪で懲役6ヶ月を言い渡されて確定。市太郎は殺人、死体損壊、遺棄罪で懲役15年、長太郎は殺人罪で懲役8年の東京地裁の判決を不服として控訴。控訴審で懲役12年と同6年を言い渡されて確定した。

戦前の日本は、殺害してから死体をバラバラに切断して遺棄することは珍しく、東京市民のみならず全国で恐怖と戦慄が走った事件だった。


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