坂田山心中事件


−経緯−
昭和7年5月9日午前11時頃、神奈川県大磯町の通称・坂田山の山林でキノコ狩りしていた地元の人が若い男女の心中死体を発見した。男は学生服、女は錦紗の着物を着ており一見しただけで裕福な男女であることがわかった。

発見者の通報で駆けつけた大磯署の捜査官は早速現場検証を開始した。間もなく、男の学生服の内ポケットに入っていた遺書から2人は東京市芝区白金三光町(現東京都港区白金台)の調所(ずしょ)男爵家の子息で慶応義塾大学3年生の調所五郎(当時24歳)と静岡県駿東郡富岡の大資産家令嬢・湯山八重子(当時21歳)であることが判明した。

現場は、五郎の枕もとに本が数冊と制帽、八重子の枕もとにはハンドバックと金の腕時計、ルビーの指輪などが置かれていた。その付近に昇汞水(しょうこうすい)と呼ばれる写真の現像に使う水銀が入っているビンが発見された。状況から、この昇汞水をあおり心中したことが確認された。

大磯署は、調所、湯山の両家に連絡する一方、事情を聴取した。その結果、2人は結婚を誓いあったが八重子の両親は結婚に反対だった。そのため、2人はこの世で結ばれることができないならば、死んで天国で結ばれたいと坂田山で心中したことがわかった。

大磯署は他殺などの事件性はないと判断。双方の家族が到着するまで白木の箱に納めて近くの寺の境内にある無縁仏に仮埋葬をした。

−猟奇事件に発展−
翌日の10日午前6時30分頃、寺の墓番の妻が仮埋葬されている土盛が掘り起こされ付近に女性の衣類が散乱しているのを発見した。寺に急行した大磯署の捜査官が調べたところ、仮埋葬した2人のうち八重子の遺体が無くなっていた。令嬢の遺体が盗まれるという猟奇事件は新聞で大きく報道され世間は大騒ぎとなった。

大磯署は神奈川県警に応援を求める一方、地元の青年団、消防団などを動員して大磯駅を中心に山側と海側に分けて捜索を開始した。その結果、翌日の11日午前8時40分頃、海岸へ向かう小道で女物の襦袢が落ちているのを発見。更に松林に囲まれた船小屋に踏み込むと砂地の中から全裸の八重子の遺体が出てきた。

大磯署は、遺体の搬入、搬出に慣れている埋葬作業員達が怪しいとみて身柄を拘束して聴取を始めた。当初、犯行を否認していた作業員達の中で橋本長吉(当時65歳)が事件から10日後の18日になって犯行を自供した。

大磯署の取調べで橋本は「9日の夜、資産家の令嬢が心中した話を聞き込み、家族に埋葬場所を聞いた。異常な興奮を覚え無縁仏に向かい女の遺体を船小屋まで運び出し、全裸にしてから愛撫したり局部を見たりした」と供述した。

橋本の自供は新聞報道を更にエスカレートさせた。東京朝日新聞は「怪異の謎解ける 令嬢死体泥棒は65歳の隠亡 10日目にやっと自白 おぼろ月夜に物凄い死体愛撫 美人と聞いて尖った猟奇心」と大きく見出しを付けた。

−異例の発表−
大磯署は「令嬢は清く汚れのない処女であった」と異例の発表をした。真相は定かではないが両家の意向を汲んで警察が世間に向けて発表したものと言われている。この事件で皮肉にも両家が話し合った結果、遺骨を分骨して2人が天国で結ばれるようにと葬った。

この心中事件は、人々の涙を誘い「天国に結ぶ恋(五所平之助監督)」というタイトルで松竹が映画化して上映。爆発的なヒットで3週間のロングランになったという。


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