町田市・保険金目当て偽装殺人事件


−経緯−
昭和50年3月4日早朝、東京都町田市成瀬で自動車が電柱に衝突し黒煙を上げているのを新聞配達員が発見し消防署に通報した。ただちに消防車が駆けつけ消火活動とともに運転席から黒焦げになった死体を運び出した。

警察が現場検証した結果、死体は車のナンバーから同市本町田に住む金融業・小笠原幸一(仮名、当時28歳)と判明した。状況から、スピードの出しすぎで電柱に衝突し、その衝撃で炎上したと見られた。

だが、不思議なことに車のブレーキ跡がないこと、サイドブレーキが掛かっていたこと、車前部の凹からみてたいしたスピードは出ておらず、その程度の衝撃で炎上することは考えにくいことから単純な事故ではなく、事件に巻き込まれた可能性も考えられた。

一方、小笠原は自営の金融業が芳しくなく3000万円の借金があったこと、保険会社数社に加入していること、保険の外交員に「どんな死に方でも保険金はおりるのかね」と言っていたことなどから自殺も考えられた。

さらに、これを裏付けするように事故の数時間前に「飲み屋で喧嘩した。相手は3人組みだ」と友人に連絡していたことが判明した。警察が調べたが、飲み屋の特定はできず、喧嘩した事実も確認できなかった。警察は、自殺では保険会社が支払いを渋ることから、他殺に見せかける偽装行為なのではないかと見た。

また事故の前日まで小笠原は交際中のA子(当時20歳)と2泊3日の旅行をしていた。この時、小笠原はA子に1週間後に両親に会って結婚の許しを得ようと言っていたことがA子の供述で判明。警察は、‘結婚を控えて前途洋々な人間が自殺する訳が無い‘というイメージ作りの偽装行為なのではないかと睨んだ。

−死人からの電話−
警察が、事故、事件(他殺)あるいは自殺なのか断定できない状況下、小笠原の葬儀が執り行われた。小笠原の金融業者仲間は連帯意識が強く、小笠原の借金の返済を引き受け、ショックで立ち直れない小笠原の両親やA子に対する気遣いをした。

小笠原の葬儀が済んで1週間後、A子の勤務先に「おれだよ」と電話が掛かってきた。まさしく死んだ小笠原からだった。A子はショックとともに嬉しさが込み上げてきた。早速、待ち合わせ場所の喫茶店で合流したA子は、死んだはずの小笠原から「死んだのは俺じゃない。罠にはまって車を盗まれた。黒焦げになった男は誰だか知らない」と聞かされた。

A子は気が動転しながらも、生きていた小笠原に安堵した。A子はどうにでもなれという思いから、小笠原と一緒になることを決意。小笠原の実家で行われた49日の法事にも何食わぬ顔で出かけている。

−発覚−
間もなく、小笠原とA子は小田原市でアパートを借りて同棲を始めた。小笠原は偽名を使ってゴルフ場でキャディのアルバイトをした。小笠原の勤務態度は評判が良く、客からも指名されるほどだった。そこで、ゴルフ場の支配人は小笠原を正社員にしようとした。正社員になれば、生活の保障や給料も上がる。だが、小笠原は辞退した。正社員になるには戸籍謄本を必要としたからだ。言うまでもなく、小笠原は幽霊なのだから正社員になれるはずもなかった。

事故(事件)から3年目の昭和53年12月18日、神奈川県警に「戸籍を欲しがっている男がいる」と匿名の電話があった。県警捜査1課が、この情報を基に捜査を開始した。その結果、偽名を使っていた小笠原が捜査線上に浮上し同月22日午前5時、アパートに居た小笠原を逮捕した。

−偽装工作−
逮捕された小笠原は警察の取調べで、借金返済に困窮し保険金目当ての偽装殺人を思いついた。まず、替え玉になる「男」を探す必要があった。A子との旅行帰りに早速、替え玉の物色に取り掛かった。車で何時間も走り回って神奈川県野毛坂で飲み屋から酔っ払って出てきた50歳位の労務者風の男を発見した。年齢は異なるが背格好はよく似ていた。

そこで、「おっさん、家まで送ろうか」と男に声をかけて助手席に乗せた。途中、すきをみてゴルフクラブで男の頭部をメッタ打ちして殺害した。それから、自分の衣服を男に着せて事故現場の町田市成瀬に向かい、時速20キロメートルで電柱に衝突させた。その後、灯油を撒いてライターで火を点けて逃走したと自供した。

裁判で小笠原に懲役15年が言い渡されて確定した。皮肉にも懲役刑で刑務所に入った途端、小笠原の戸籍が復活したのだった。尚、黒焦げになった男性は、いまだに身元が不明のままである。


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