榎井(えない)事件


−経緯−
昭和21年8月21日午前2時頃、香川県榎井村(現琴平町)の大蔵省専売局員(当時)・高田喜三郎さん(当時43歳)宅に2人の賊が侵入し、1人が拳銃で高田さんを射殺した。

事件前、付近を警備していた琴平タバコ配給所の夜警が高田さん宅の表門が開いているのを不審に思った。そこで夜警は高田宅の庭内に入り「門が開いているが誰か外に出ているのか」と注意した。その声で目を覚ました高田さんと妻のチトセさん(当時39歳)は寝床から起きだし表門を確認したところ、戸締りしたはずの表門が開いていた。

そこで、高田さんは表門の戸締りをして母屋玄関に戻ると、チトセさんが「そこに人が隠れている」と小声で伝えた。高田さんが目を凝らして見ると確かに母屋と納屋の間にうずくまっている人影があった。そこで、高田さんは鍬を持ち出して恐る恐る近づいて行った。

すると、うづくまっていた白いパナマ帽を被った男が高田さんの前に飛び出してきて対峙した。その直後、拳銃の乾いた音が発せられると同時に高田さんが倒れ、その横をパナマ帽の男ともう1人の男の2人が表門へ向かって逃走した。チトセさんは、高田さんを抱き起こしたが既に絶命していた。

通報で駆けつけた警察は、早速現場検証を実施した。付近には薬きょうと犯人の遺留品と思われるパナマ帽が落ちていた。さらに警察は近所の聞き込み捜査を始めたところ、隣の主婦が午前2時頃、自宅の便所から高田宅方面に歩いていくパナマ帽を被った男ともう1人の男の2人連れを目撃していたことが判明した。この目撃情報を元に警察は犯人の行方を追った。

事件から1週間後の同年8月28日、高松専売局に盗みに入った吉田勇(当時18歳)と浅野英明(当時19歳)が逮捕された。2人は取調べで、窃盗未遂、住居不法侵入を素直に認めた。だが、香川県警は、榎井村で発生した事件も2人が犯人と見て厳しく追及した。2人は当初犯行を否認したが、やがて浅野が「吉田が射殺した」と供述したこと、パナマ帽を吉田に買い与えたとする台湾人の証言を得たことなどで香川県警は2人を殺人罪で起訴した。だが吉田はまったく身に覚えが無いとして犯行を否認し続けた。

−冤罪−
昭和22年12月8日高松地裁は検察側の主張を全面的に認めて吉田に無期懲役、浅野に懲役6年の判決を言い渡した。浅野は控訴せず確定、吉田は無実を訴えて控訴した。

昭和23年11月9日高松高裁は一審を支持して吉田の控訴を棄却し改めて懲役15年を言い渡した。昭和24年4月28日最高裁は吉田の上告を棄却して吉田に懲役15年が確定した。

昭和30年5月吉田は、サンフランシスコ講和条約の恩赦で仮出所した。出所後、愛媛県今治市に住み、「やっとらんもんは、やっとらん」と冤罪を晴らすための活動を開始した。

吉田は捜査を担当した刑事、弁護士、関係者を訪ね歩いて新規情報を集めた。それから35年を経て平成2年3月19日に高松地裁に再審請求を提出した。その結果、平成5年11月1日高松地裁は再審開始を決定した。

理由として、浅野が警察の取り調べで「吉田が射殺した」と自白した供述は、その後、取調官から「吉田がお前と一緒にやったと話しているぞ」と誘導尋問されたとの証言、パナマ帽が吉田のものかに関して、吉田の兄は警察から強要されて弟(勇)のものと証言したこと、帽子を吉田に買い与えたとする台湾人は、その事実を否定するなど確定判決に掲げられているものとまったく異なる証言に信憑性と新規性があることを認めた。

平成6年高松地裁は吉田に無罪を言い渡した。事件発生から実に47年を経て無罪を勝ち取った吉田はその3年後、食道ガンのため死去した。享年69歳だった。


inserted by FC2 system