山中事件


−経緯−
昭和47年7月26日石川県江沼郡山中町の山林で町職員が白骨死体を発見した。直ちに警察が急行し身元調査及び現場検証を開始した。白骨体は頭部が陥没骨折しており事故、自殺ではなく殺人事件と断定された。

警察は同町及び近隣の行方不明者を調査したところ、間もなく身元は同年5月11日から行方不明になっていた同県加賀市のタクシー運転手・大槻武夫さん(当時24歳)であることが判明した。

警察は大槻さんの身辺捜査を開始したところ、大槻さんと金銭問題で揉めていた同町の漆器業手伝いのA(当時41歳)が捜査線上に浮上してきた。Aは大槻を保証人として金融業者から30万円の借金をしたが、その後双方で言い争いになっていたのだった。

警察は、7月28日Aを殺人容疑で逮捕した。取調べでAは犯行を素直に認めたが、「自分は手伝っただけで主犯は蒔絵師の霜上則男(当時43歳)である」と供述した。霜上は同年5月14日些細なことでAと喧嘩、小刀で刺したことで逮捕され拘留中だった。

警察はAの供述を基に7月28日殺人、遺体遺棄容疑で拘留中の霜上を再逮捕した。だが、霜上は取り調べで事件の関与を一切否認し、検察の取り調べ及び公判でも一貫して無実を主張した。

−冤罪だった−
昭和50年10月27日金沢地裁は霜上に死刑、Aには懲役8年を言い渡した。霜上は控訴したが、Aは控訴せず確定。その後刑期満了で出所した。
昭和57年1月19日名古屋高裁は一審を支持して霜上の控訴棄却。霜上は上告した。

平成元年6月22日最高裁は、検察側の主張する自白の信用性に疑問があり、重大な事実誤認をした疑いが強いとして二審の死刑判決を破棄して名古屋高裁に審理のやり直しを命じた。

最高裁は理由として、遺体の頭部陥没骨折(直径2.5センチ、深さ7ミリ)が凶器とされているヨキ(斧の一種)で殴ったにしては小さすぎること。被害者の左脇腹を小刀で刺したとされているのに、着ていたシャツに該当する損傷が無いこと。犯行時現場は暗闇でAが霜上の行動を確認できたとは思えないことなどを挙げた。

平成2年7月27日差戻審の名古屋高裁は殺害の実行などの部分で矛盾や不合理の点が多く信用できないと指摘して霜上に無罪を言い渡して確定した。無罪を勝ち取るのに28年余り。警察、検察、判事は免田事件財田川事件など多くの冤罪事件の教訓を活かしていなかった。


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