大阪・ヤミ屋4人殺人事件


−経緯−
昭和21年7月17日、大阪府住道町(現、大東市内)の向井仙吉(当時47歳)と妻・A子(当時45歳)はヤミ屋を殺害して金員を強奪することを計画。A子は大阪府北区のヤミ市で顔見知りのヤミ屋B(当時46歳)に、高橋明と名乗って3万円分のサッカリンが手に入るので買ってくれないかと声をかけた。

この誘い出しに乗ったBは、早速取引先の住道町にある向井宅に向かった。家の表札を高橋姓に掛け変えて待っていた向井は、柔道4段の腕前。Bを難なく殺害し遺体を裏庭に埋めた。向井、最初の殺人である。

向井夫婦は、一人殺せば何人殺しても同じと、次々にヤミ屋殺しをして生活を凌いだ。同年12月28日、ガソリンを持っているとヤミ屋に声をかけて、同様に自宅で殺害し裏庭に埋めた。

3人目は翌22年2月22日、甘味料をもっているとヤミ屋に声をかけて同様に殺害した。だが、この殺害は向井にとって誤算だった。このヤミ屋の相棒が、いつまでたっても‘高橋宅‘から戻ってこないため、不審を抱いて向井宅を訪ねて来た。この時、向井はごまかしてヤミ屋を返したが、発覚は時間の問題である。向井夫婦は、その日の夜に逃亡した。

一方、ヤミ屋の連絡で警察が‘高橋宅‘を訪ねると家はもぬけの殻だった。不審を抱いた警察が裏庭を掘ると4遺体を発見。そこで警察は、向井を全国指名手配した。

−動機と逃亡生活−
向井は、元海軍軍人。身寄りもない向井は老後を考えて、戦時国債を買っていた。だが、昭和20年8月15日の終戦を迎えたと同時に国債はタダの紙切れになってしまった。

夫婦は一年間、身の回りの品物を売って生活していたが、いよいよ今日の食糧を買う金さえ無くなった。夫婦が生き延びるには、違法を承知で甘い汁を吸っているヤミ屋を殺害しようと計画し、柔順な妻もこの計画に従った。

逃走から10年間、向井夫婦の行方は杳として掴めなかった。だが、昭和33年6月10日、東京・富坂警察署に情報が入った。それによると、後楽園の廃品回収業の男から、手配書の写真の男女が同じ集落に住んでいた夫婦によく似ているというものだった。

早速、警視庁は捜査を開始した。その結果、昭和34年8月25日、小石川の火薬庫跡の掘っ建て小屋に住んでいた向井夫婦を発見。殺人容疑で逮捕した。時効まで余すところ2年半だった。

向井夫妻は取り調べで殺害を素直に認めた。さらに、警視庁の逃亡後の追跡調査で次のことが判明した。向井夫婦は11年間にわたり廃品回収業を営んできた。この間、底辺の人々に可能な限りの援助をして同業者からは生き仏と呼ばれていた。また、殺害した被害者への供養も欠かさなかったことがわかった。

大阪地裁は昭和35年11月、逃亡後の11年間の善行を考慮して2人に無期懲役を言い渡した。これに対して検察側は量刑不当として控訴した。
昭和36年7月の二審判決で、向井に死刑、妻・A子に無期懲役を言い渡した。昭和37年7月17日、最高裁は上告を棄却して向井に死刑、妻に無期懲役が確定した。

刑確定後、拘置所の温情で2人の面会が許された。この時、向井は妻に苦労をかけてきたことに詫びを入れると、妻は「いつもやさしくしてもらって、ありがたいと思っています。冥土でまた一緒に暮らしましょう」と返答した。それから5年4ヵ月後に向井の刑は執行された。


ホーム

inserted by FC2 system