東海銀行強盗殺人事件


−経緯−
昭和30年8月29日午後1時頃、大阪市東区北浜(現、中央区)の派出所に、背広で蝶ネクタイ姿の在日朝鮮人の権善五(当時26歳)が、「落し物です」と言って入ってきた。警官が落し物の包を開けようとしたところ、権は拳銃を取り出し警官に発砲した。警官は至近距離から撃たれて即死した。

その後、権は西隣にある東海銀行大阪支店に入り、行員に拳銃を見せて「動くと撃つぞ」と叫びながらカウンター内にあった現金500万円入りの袋を奪った。銀行から逃走する際、権は通行人に「どけ、どけ」と叫びながら拳銃を空に向けて発砲した。そこへ通りかかった自家用車を停めて、助手席に無理やり乗り込むと、運転手に向かって「難波橋方面へ行け」と脅迫した。

運転手は、機転を働かせてエンストを装い車を停めたが、これを見破った権は激怒し運転手を射殺した。さらにバイク、小型トラックなどを乗り継いで、途中、曾根崎署の警官にも発砲し重傷を負わせた。僅か30分間に2人が射殺され、1人が重傷を負う大事件に発展した。

大阪府警は直ちに警察官の緊急配備と非常線を張った。その結果、工場の倉庫に隠れていた権を発見し、事件発生から1時間後に緊急逮捕した。

−動機−
権は、昭和4年に朝鮮で出生。5歳の時、家族と共に神戸へ移住した。中学生の頃、空襲が激しくなり権一家は兵庫区の山中に疎開したが、彼は灘区にある下宿で独り生活を始めた。

やがて、終戦を迎えて、父親の仕送りで関西大学に進学した。元々、権は成績優秀で真面目な性格だった。

その頃、同じ下宿先に戦争未亡人のA子さんと娘のB子さんが移り住んできた。A子さんの夫は元軍医で、娘のB子さんも女医になることを夢見ていた。権とA子さん親子は急速に親しくなった。やがて、A子さんは権に娘のB子さんとの婚姻を懇願された。容姿端麗で頭の良いB子さんとの結婚は、権こそ願っていたので、A子さんの申し入れを快諾した。

だが、破綻は突然やってきた。権の母親がチマ・チョゴリ姿で下宿先を訪ねて来たのだ。権は在日朝鮮人であることを始めて知ったA子さんは態度を豹変しB子さんを連れて強引に引っ越してしまった。

大学を卒業しても、在日朝鮮人であるため就職先は見つからない、信頼していたA子さん一家も逃げるように居なくなった。権は自暴自棄になった。

昭和26年1月に、神戸市内の派出所から警官の制服を盗んだ。2月、制服を着て横浜に行き、立番していた警察官を外出させた隙に拳銃を盗んだ。翌27年2月に、盗んだ拳銃で京都の大和銀行祇園支店を襲撃して100万円を強奪した。

昭和29年には外車を盗もうとして運転手を殺害。初めての殺人で気後れして、暫くはおとなしくしていたが、一獲千金を狙って本事件を起こしたのだった。

昭和31年10月、大阪地裁は権に死刑を言い渡した。権は控訴しなかったが、外車窃盗で殺害された運転手の妻が敬虔なクリスチャンで、権に控訴を勧めた。感激した権は、その後控訴したが、昭和32年9月、持病の肺結核で獄死した。


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