関口政安・連続殺人事件


−経緯−
昭和48年9月1日、警視庁暴力団犯罪取締り本部と蒲田警察署は東京都練馬区の娯楽機器販売会社社長・関口政安(当時31歳)を恐喝容疑で逮捕した。関口は前年の昭和47年3月、大田区の食品販売会社社長へ短期融資したが、その後の返済が無かったことから日本刀で脅し元利合計2千万円余りを脅し取った。

だが、警察の逮捕目的は別にあった。というのは、関口や関口の従弟で暴力団幹部のA(当時27歳)は知り合いの会社社長や金融業者らを恐喝して紙くず同然の手形を高く割り引かせた。この一連の詐欺・恐喝は闇の金融業界では有名で警察は実態にメスを入れるため内偵し関口を逮捕したのだった。

警察は、関口を厳しく追及した。その結果、関口を核とする犯罪集団の全容が明らかになった。

昭和48年4月、関口はトンネル会社の手形を、パクリ集団の黒幕で会社経営の中山一夫(当時53歳)が持っていた中日スタジアムの手形8億円と交換した。当時、中日スタジアムは経営が行き詰まり同社の手形が金融界に多く出回っていた。同年3月頃は額面1千万円が700万円で割り引されていたが4月になると100万円に買い叩かれていた。5月になると中日スタジアムの社長が自殺し160億円の負債を抱えて倒産した。

関口は、倒産寸前の中日スタジアム手形を知り合いの会社社長、金融業者らに従弟のAと命知らずの子分らを背後にちらつかせて「死ねば終りだぞ」と脅迫し、十数人が多額の手形を割り引かされた。関口は1ヶ月間で7億円の儲けを手にした。

−4人連続殺人−
警察は更に余罪があるものと見て厳しく追及したところ、関口とAら4人は殺人を自供した。

昭和45年2月13日、大田区の娯楽機器販売業者のBさん(当時32歳)に300万円を融資したが、その後返済が無かったことから、見せしめのためAらに命じてBさんを殺害し神奈川の山林に埋めた。警察が自供に基づき発掘したBさんの顔は塩酸で焼かれ、スコップで滅茶苦茶に潰されていた。

その後、砂利採取業者夫婦を5千万円の返済を巡って殺害。さらに保育園長の妻が関口と密接な関係となり、邪魔者として園長を殺害するなど連続4人を殺害したことが判明した。

中日スタジアム事件の主犯中山は欧州に逃亡していたが、昭和48年12月に帰国し羽田空港で逮捕された。中山は関口の連続殺人事件とは無関係であることを主張した。

一方、関口は4人連続殺人と詐欺、恐喝容疑で起訴され平成元年11月20日に死刑が確定した。


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