新潟・小千谷強盗殺人事件


−経緯−
昭和34年4月4日午後、新潟県の小千谷駅で下車した中村覚(当時25歳)は金も無く空腹に耐え兼ねて強盗目的で農家に押入った。中村は農家の軒下にあった鎌を手に主人と妻、子供たち5人を縛り上げ金員を物色した。だが、その結果は2000円を手にしただけだった。その後、台所で残っていた飯を口にしながら夜が明けるのを待った。

翌日の5日になって中村は始発列車で実家のある柏崎へ向かうため、農家をあとにした。だが、2000円だけではどうにもならない。中村は、「あの家にはまだ金があるのではないか」と思い、再び農家に戻った。ところが、農家の主人は縛られていた紐を解き自由の身になっていたたため中村と格闘になった。中村は、そばにあった棍棒で主人の頭を殴打し重傷を負わせた。さらに、止めに入った妻を絞殺してしまった。

我に返った中村は柏崎へ行くのを諦めて新潟市へ向かった。だが、警察の警戒態勢で新潟市の手前、三条市で緊急逮捕された。逮捕後の中村は犯行を素直に認めた。

−不幸な生い立ちと死刑−
中村は昭和9年に中国の満州で出生。その後、敗戦で新潟県柏崎市に引き揚げてきた。父親は病気がちで母親は肺結核。自分自身も幼児期に脳膜炎を患い、その後に肺炎、結核など病気続きだった。生活は極貧の状態で、みすぼらしい服装で周囲から疎んじられていた。

中村が14歳の時、母親が他界。病気の父親に代わって、地元の工場などを転々としながら妹の面倒をみてきた。元々体の弱い中村は工場の重労働に耐え切れず自殺を考えるが、幼い妹を思うと実行できなかった。

母親が死ぬ直前、「この世の名残にタラコと塩ジャケを食べたい」と言った。中村は、薄給から工面して買ってくると母親は一口食べて、あとは中村と妹たちに勧めた。中村は【こんなに貧しく生まれてきたのは何故なのか、家族が病弱なのは何故なのか、世の中には神も仏もいないのか】と自問自答した。

その後、家を飛び出した中村は仕事を転々とするも一向に生活は向上しない。自暴自棄になった中村は刑務所に入ったほうがマシだと、空家に放火して実刑4年を言い渡されて服役した。

昭和34年3月に小倉医療刑務所を出所した中村は、実家の新潟県柏崎に戻ることを決意して上京。だが、東京から柏崎までの切符が買えなかった。有り金を全て出しても途中の小千谷駅までしか買えなかった。ここに小千谷の農家一家の不幸があった。

昭和37年6月最高裁は、中村の上告を棄却して死刑が確定した。昭和42年11月2日死刑執行。享年33歳だった。
拘留中の中村は歌に目覚めた。島秋人の筆名で毎日新聞に投稿した。才能があったのか、歌はしばしば入選した。死刑20日前の最後の歌が毎日新聞に掲載された。
「あたたまる心に清む身を愛しみ獄の良書に灯に親しみぬ 東京・島秋人」


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