東京裁判・判決


−経緯−
昭和23年11月12日、戦争の犯罪者を裁く東京裁判(正式名称:極東国際軍事裁判)で2年余りの審議を経てA級戦犯とされた東条英機(開戦時、総理大臣・陸軍大臣/65歳)らに裁判長は絞首刑の判決を言い渡した。

東京裁判はオーストラリアのウィリアム・ウェッブ裁判長、米国のジョセフ・キーナン首席検事ら戦勝国からなる判事団、検事団であった。一方、裁かれる被告人達はA級、B級、C級とに分けられ、特に国家を戦争に導いた指導者達(A級)を審議したのが本裁判である。キーナン首席検事等は、「A級戦犯達の侵略戦争の共同謀議、その実行、平和に対する罪」など55の訴因を挙げて立証をはかった。

一方、A級戦犯達は「自衛権行使のためにこの戦争に踏み切ったものである」と主張した。昭和23年4月16日、370回を数えた公判を結審したが、この間、公判には419人の証人、4336通(4万8411頁)にのぼる膨大な証書が受理された。判決で絞首刑を言い渡された東条英機ら7人は巣鴨刑務所(現、池袋サンシャイン)で絞首刑となった。

―天皇の戦争責任―
東京裁判が始まった頃は、殆どの戦勝国は天皇に戦争責任があるとみていた。ところが、GHQ(連合国総司令部)のマッカーサ元帥が天皇と接見すると、米国の対日方針の変化が出始めてきた。即ち、天皇制存続は米国の日本占領政策において不可欠なものと認識したのだった。

この意を受けて、キーナン首席検事は天皇の戦争責任問題を回避する動きをとるようになった。特に、公判のやり取りで、東条の「天皇の勅命が無い限り戦争を起こすことは無い」との発言に、キーナンは東条に働きかけ「太平洋戦争開始にあたって、天皇は、統帥部その他東条を含む責任者の進言により、しぶしぶ開戦に同意した」という証言を引き出した。この働きかけで、表面的には天皇の戦争責任問題が幕を引いたのだった。

―戦勝国のための裁判―
ドイツのニュルンベルク裁判と同様、東京裁判は戦勝国が敗戦国を裁くという図式であった。「平和に対する罪」などは、本裁判と同時に含まれた概念であり、いわば試合後に新しいルールを用いたのも等しいと見る有識者がいる。また、A級戦犯とする枠組みも確実な定義付けをされているとは思えない。

A級戦犯の弁護団の清瀬弁護士は裁判の冒頭陳述で「1945年までの国際法では国家行為に対し、その官職にあった個人の責任は問われない」、「連合国は、国際法を遵守するとしているから、戦争犯罪人も国際法の規定範囲内に止まるものである」、「パリ不戦条約では、国家政策で行われた戦争は犯罪としていない」などと主張し東京裁判そのものに裁判を行う権限は無いとした。これに対して、東京裁判では最後までその回答を明確に出来なかった。

東京裁判では被害当事者が判事であり検事であるという矛盾に満ちた裁判であった。インドのパール判事は「日本が戦争に踏み切ったのは侵略ではなく、独断的な現状の維持政策をとる西洋諸国によって挑発された為であり、東京裁判は正義の実現ではなく勝利者による復讐である」と断じた。

一方、C級戦犯に見られるように上官命令で下級兵士が捕虜を虐待(国際法で禁止事項)した場合なども絞首刑となった。戦争とは全てが非常(異常)事態であり、上官命令に背く事は、自身が軍法会議で処刑される。このような状況下で、上官の命令が拒否出来るものなのか?

−ABC戦犯分類−
A級 戦争指導者 東京裁判で公判
B級 捕虜虐待の監督、命令した者 国内、ソ連(当時)、中国、その他アジア地区で実施。
殆ど弁護する機会が無く1000人以上が処刑されている。
C級 捕虜虐待行為を実行した者

―東京裁判・A級被告判決―

東条英機 首相、陸軍大臣、参謀総長他 絞首刑
広田弘毅 中ソ大使、首相他 絞首刑
土肥原賢二 陸軍大将、満州特務機関長他 絞首刑
板垣征四郎 陸軍大将、陸軍大臣他 絞首刑
木村兵太郎 陸軍大将、ビルマ司令官他 絞首刑
松井石根 陸軍大将、上海司令官他 絞首刑
武藤章 陸軍中将、陸軍省軍務局長 絞首刑
木戸孝一 文相、内相他 終身禁固
平沼騏一郎 首相、枢密院議長他 終身禁固
賀屋興宣 蔵相 終身禁固
嶋田繁太郎 海軍大臣、海軍大将他 終身禁固
白鳥敏夫 駐伊大使 終身禁固
大島浩 陸軍中将、駐独大使 終身禁固
荒木貞夫 陸軍大臣、陸軍大将他 終身禁固
星野直樹 満州国総務長官他 終身禁固
小磯国昭 陸軍大将、朝鮮総督他 終身禁固
畑俊六 元帥、支那司令官他 終身禁固
梅津美治郎 陸軍大将、関東軍司令官他 終身禁固
南次郎 陸軍大将、朝鮮総督他 終身禁固
鈴木貞一 陸軍中将、企画院総裁他 終身禁固
佐藤賢了 陸軍中将、陸軍省軍務局長 終身禁固
橋本欣五郎 陸軍大佐、赤誠会統領 終身禁固
岡敬純 海軍中将、海軍省軍務局長 終身禁固
東郷茂徳 駐独・ソ大使、外相 禁固20年
重光葵 駐英、外相 禁固7年


ホーム

inserted by FC2 system