新潟・女性誘拐事件


−経緯−
昭和40年1月13日午前8時頃、新潟県新潟市のガソリンスタンド経営・Kさん宅に男の声で電話がかかってきた。応対にでたKさんの三女でA子さん(当時23歳)は、母親に「お巡りさんから、うちの車が交通の邪魔をしていると言っている。要領を得ないから行ってくる」と言って外出した。

その後、1時間しても戻ってこないことに心配した母親は、長男に相談した。それから間もなく電話がかかってきた。母親が電話にでると、「娘さんは預かった。無事に帰して欲しければ明朝までに700万円を用意しろ」という脅迫電話だった。

Kさんは、早速警察に通報し、捜査員が家の電話の前で張り込みを開始した。翌日の午前11時45分に3回目の脅迫電話がかかってきた。それによると、「新潟駅に金を持参しろ」という内容だった。そこで、母親と長男は現金10万円と残りは新聞紙で作った偽札束を用意して新潟駅に向かった。

新潟駅に着くと、構内放送でKさん宛てに電話が入っていることを告げられた。長男が電話にでると、「午後1時27分の柏崎行きの列車に乗り、赤い旗が見えたら身代金を窓から投げろ」と指示された。

母親と長男及び尾行していた捜査員らは指示通りに列車に乗り込み赤旗を探した。やがて信濃川手前にさしかかると赤旗は見えたが、列車の速度が速くて身代金を投げることは出来なかった。

同日の夕方、関谷海外沿いの道路でA子さんの絞殺体が発見された。現場には、雪の上にはっきりとタイヤの痕が残っていた。しかも、付近で長く駐車している不審な車の目撃者もいた。

−単独犯から共犯を主張−
捜査本部は、タイヤ痕と目撃者からの情報を手掛かりに、市内の車修理工場の捜査を始めた。そして1月20日、当該の車が修理工場にあることを突き止めた。この車の所有者は、この修理工場経営の息子で山川真也(当時23歳)であった。捜査本部は父親に息子の行方を確認したところ、17日から舌がもつれ足が痙攣するという症状のため新潟大学付属病院に入院していることが判明した。

捜査本部は、この入院は芝居とみて、山川を身代金目的の誘拐と殺人容疑で逮捕した。逮捕された山川は、父親の修理工場が経営不振で、運転資金を得ようと身代金目的でA子さんを誘拐し殺害したことを認めた。山川とA子さん一家とは仕事の関係で付き合いがあり、裕福なA子さんに目をつけたことも自供した。

ところが、山川は公判で共犯者がいることを主張した。それによると、2年前の昭和38年に自動車整備士になるため東京に上京した際、タクシーに乗る順番待ちで3人の男とトラブルを起こした。この時、相手の男に怪我を負わせたため、慰謝料を払えと脅迫され続けた。このため怖くなって、新潟に戻ったが、男達が追いかけてきた。この男達は、リュウと高橋と名乗る男で、それ以上のことは何も分からなかった。

男達は、慰謝料が払えないなら、今から誘拐するから手伝えと言われた。計画を聞くと知り合いのA子だった。怖くなったが、逃げ出せず13日の午前、新潟駅に呼び出されて指示された通り、車を走らせただけだと主張した。

警察は、リュウ、高橋某を調べたが確認はできなかった。だが、脅迫電話に「あんた」という女の声が聞こえたこと、山川の父親が経営する修理工場は経営不振ではないことなどから、山川の供述に矛盾があり、このため共犯説も浮上した。

だが、昭和41年2月新潟地裁は山川に死刑判決を言い渡した。昭和43年12月の控訴審も一審を支持して死刑判決。昭和46年5月最高裁は山川の上告を棄却して死刑が確定した。再審請求中の昭和52年5月21日、山川は東京拘置所の独房でガラスを割り、その破片で頚動脈を切断し自殺した。享年37歳であった。


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