芸能プロ社長嘱託殺人事件


−経緯−
昭和39年4月24日午前0時過ぎ、東京都港区高輪の自宅に血まみれになってとだり着いた芸能プロダクション社長・水木匡孝さん(仮名・当時30歳)は妻(当時29歳)に向かって「相手はブルーバードだ」と言って絶命した。死因は、鋭利な刃物で頭部他数ヶ所を深く切られたことによる出血多量だった。

水木社長は、銀座に民放コマーシャル専門の芸能プロ会社を経営。当時、初めてCM音楽を商業ベースに乗せた逸材として有名な社長で、経営も順調だった。

警視庁捜査1課は、現場検証を開始した。水木社長が最後の言葉として残した通り、自宅前には車のスリップ跡と大量の血が発見された。さらに、傍にある電柱の下に刃物を包む鞘状の形をした新聞紙の包が発見された。開くと家庭覧の料理献立の記事が切り抜かれていた。

捜査1課は、新聞の配達管轄の捜査、犯行に使われた車(ブルーバード)の行方捜査及び水木社長の周辺捜査を開始した。間もなく、車は港区新橋で盗まれていたことが判明、翌朝品川南大井で乗り捨てられているのが発見された。一方、水木社長は仕事熱心で素行も堅実だった。このため、友人・知人からは不審者がでてこなかった。

−嘱託殺人−
ところが、会社の従業員で総務課長の島田敏之(仮名・当時29歳)が、会社の金銭問題でトラブルがあったことを掴んだ。そこで、捜査1課は島田の勤務態度、業務内容、交友関係などを徹底的に洗いだした。その結果、会社の預金600万円を別口座に預金していたことで水木社長から叱責されていたこと、私生活では妻子があるのに2人の愛人を囲って生活が派手であること、さらに、以前務めていた会計事務所で恐喝事件を起こしていることが判明した。

捜査1課は、容疑者を島田と断定したが、本人のアリバイは確実にあった。事件当日の夜、島田は水木社長と銀座のバーで飲み、ホテルの前で別れてから再びバーに戻り、バーの女性とホテルに行き、24日午前4時頃、自宅に戻っている。

そこで、捜査1課は以前の恐喝事件で共犯だったA(当時29歳)に面会し事情聴取した。この時、Aから「一年前に殺人話を持ちかけられて怖くなり絶交状態だった」との証言を得た。これにより捜査1課は島田が水木社長を嘱託殺人したものとみて逮捕した。

取調べで、島田は犯行を認めた。動機は水木社長を殺害して会社を乗っ取るつもりだったと供述した。水木社長殺害の実行者は、偶然乗ったタクシーの運転手B(当時25歳)で、謝礼60万円を出すという約束で水木社長の帰宅を待ち伏せして殺害したことが判明した。

Bは当初、犯行を否認したが、Bの実弟の妻が切り抜きしていた新聞の料理献立記事が発見され、現場の新聞と完全に符合したことから、犯行を全面的に認めた。

一審の東京地裁は、島田は精神病と認定され無罪、Bには無期懲役を言い渡した。これに対して検察側は、島田の無罪は納得できないと控訴した。改めて島田の精神鑑定を慶応大学に依頼した結果、島田は仮病であることが判明した。その結果、東京高裁では島田、Bの2人に無期懲役を言い渡し確定した。


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